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「明日への提言」

我が研究の遍歴

塚本 啓祥(東北大学名誉教授)

 私ははじめ医学部への進学を志して、旧制第五高等学校の理科に入学したが、心境に変化を生じて文科に転じた。その翌年学制の改革に遭遇し、新制の大学に移行した。生来、自然科学的思考を好んだ私は、仏教思想の理解のために、その前提として哲学的思考の方法を修得する必要を感じ、西洋哲学(特にギリシャ哲学)を学ぶことにした。

 私は熊本大学の卒業論文において、副島民雄教授(後に九州大学教授)の指導によって、アリストテレスの『形而上学』(Metaphysica)を研究課題とした。トマスはこの書を体系的に組織されたものとして解釈したが、エーガー(W.Jaeger, Aristoteles, Grundlegung einer Geschichte seiner Entwicklung, Berlin 1923)は、ギリシャ語の原典を精査した結果、①アリストテレスがプラトンの影響下にあって師の学説に追従したと思われる修行時代(die Urmetaphysik)と、②そこから独立して彼自身の哲学体系を確立した体系時代(die Entwicklung der Metaphysik)とを画し、相対立する神学(theologia)と存在論(ontologia)を同時に包括する「形而上学」を成立史的に分析することによって、長期に亙って閉ざされた問題(aporia)を解消した。私の卒論「アリストテレス存在論の基礎付けについて」はエーガーの視点と方法に基づいて作成したが、これはその後の私の研究の基礎となった。

 立正大学での修士論文において、私は漢訳の『正法華経』(A.D. 286)、『妙法蓮華経』(406)、『添品妙法蓮華経』(601)、『薩曇分陀利経』(265-316)を、Sanskrit・チベット訳の法華経の構成要素と比較検討して、旧訳の「妙法華」は古い編集形態を維持し、古訳の「正法華」には「妙法華」よりも新しい改編による数種の挿入・補筆の痕跡があることを指摘した。私が東北大学の博士課程に編入学したとき、研究室の例会において修士論文の内容を発表し、その視点と方法がエーガーのそれに依拠することを述べた。金倉圓照主任教授は、第一次大戦後ドイツのボン大学でヤコービ(H. Jacobi)教授の指導を受けられたが、私の方法論に少なからぬ関心を示された。

 また山田龍城教授も同じ頃フランスのパリ大学でレヴィ(S. Levi)教授の指導を受けられたが、インドのPrakrit(方言)と歴史の研究の原点となる「アショーカ王碑文」の研究を勧められた。私の博士論文『初期仏教教団史の研究』は部派仏教の成立に関する文化史的考察で、教団史構成の視点として、仏滅年代、マガダ王統史、長老の系譜、資料の源泉、根本分裂を論じた後に、結集の伝説と僧伽抗争を批判的に分析した。ついで分派の源流と成立の問題を、伝法の形態の伝承解明、碑銘による存在確証(この時点では碑銘学者の説に依拠)の観点から究明した。本論文の出版(山喜房仏書林 1966)に対して第1回日本宗教学会賞(1966)を受賞したが、審査委員であった石津照璽・堀一郎教授は、古代伝承を統計学的・分類学的解析によって整理して、図表を用いて説明したことは、筆者の思考と論証の過程を、読者に理解させる説得力があると評せられた。

 『古代インドとギリシア文化』(平楽寺書店 1972)は、G. Woodcock, The Greeks in India (London 966)の金倉教授との共訳である。本書には、西北インドにおけるインド・ギリシャ王国、サカ・パフラヴァ藩侯、クシャーナ王朝の政策、ギリシャとインドの思想・芸術の交流・融合を取り扱っている(巻末の注・付図は塚本の担当)。従来、東西文化融合のガンダーラの研究において、インドの研究者はSanskrit、Prakrit(Paiを含めて)、チベット語、漢文などの資料を、西方の学者はギリシャ・ラテン・ペルシャ・ソグド語などの資料を第一資料としていたが、両者を共通基盤とした研究の交流はほとんどなされていなかった。ウッドコックの出版はその必要性を示唆するものであった。

 『アショーカ王』(平楽寺書店 1973)はアショーカ王研究の問題、刻文の記録、領土と外交政策、内政と行政、地方と経済、ダルマの政策、アショーカ王と仏教の関係について、文献・碑銘を資料として論究した。『アショーカ王碑文』(第三文明社 1976)は当時存在したアショーカ王のすべての碑文を対比して訳出し、詳細な註記を与えた。

 立正大学に法華経文化研究所が創設(1966)されて、共同のプロジェクトとして出版したSanskrit Manuscripts of Saddharmapundarika, Collected from Nepal, Kashmir and Central Asia (『梵文法華経写本集成』,12vols, 梵文法華経刊行会1977-82; Total 6482pp.)は、中村瑞隆・塚本啓祥・田賀龍彦・久留宮圓秀・伊藤瑞叡・三友健容・三友量順によって分担した。30種の鈍文法華経(ネパール系・カシミール系・中央アジア系)写本をKern本の各行ごとに比較対照した(各巻末の「漢訳法華経の対照表」は塚本の修士論文の資料を掲載)。

 Sanskrit Manuscri@pts of Saddharmapundarika. Collected from Nepal, Kashmir and Central Asia, Romanized Test and index(『梵文法華経写本集成一ローマ字本・索引』,2vols, 梵文法華経研究会1986-88)は、塚本啓祥・田賀龍彦・三友量順・山崎守一が、東北大学金属材料研究所の川添良幸教授(情報学)の協力を得て、上記の著書2巻をデータベース化して、全語彙のIndexとReverse lndexを作成した。

 『法華経の成立と背景一インド文化と大乗仏教』(佼成出版社 1986)は、西北インドの歴史、仏教の展開を基礎として、仏塔崇拝と法華経、法華経の担い手、宗教統一の論理と実践、授記思想の展開、七喩を論じた後に、法華経における諸信仰統一の事例として、浄土信仰・観音信仰・陀羅尼呪・提婆達多の宗教・ナーガ信仰を挙げて論究した。Source Elements of the Lotus Sutra: Buddhist Integration of Religion, Thought, and Culture (Kosei Publishing Co. 2007)は、上記の英訳であるが、和文の出版から20年を経過しているので、一部に修正を加え、新しい学説を提示した。法華経の中心思想は「開会(かいえ)」(Aufheben/integration)にあると言われ、西暦紀元前後の西北インドにおいて、あらゆる民族の文化・思想・宗教の独自性を容認しながら、それらを仏教に統一しようとした大乗仏教の思想(信仰)運動であったとみなされた。本書はその歴史的背景とそれを必要とした社会的・文化史的基盤を、文献学並びに歴史学・考古学・美術史・古文書学・碑銘学・古銭学によって実証することを目的とした。本書に対しては仏教文化学術賞(2007)を受賞した。『インド仏教碑銘の研究』Ⅰ TEXT,NOTE, 和訳(平楽寺書店 1996)、Ⅱ 索引・図版(1998)、Ⅲ パキスタン北方地域の刻文(2003)。巻Ⅰは、インド亜大陸の174地点で出土した2828碑銘について、テキストの批判的検討を行い、註記と和訳を提示した。序論には、碑銘出土の歴史的背景、部派の成立に関する伝承と史実、碑銘文字の形態、碑銘の文法的特色を論述し、巻末に諸目録碑銘番号対照表、碑銘の言語、文字、年代、碑銘の主要記載事項を付記した。また従来のPrakrit文法学では解読できない碑銘については、コンピュータによる文法解析によって、音韻論(Phonology)・形態論(Morphology‐Declension)の根拠を例示した。巻Ⅱでは、巻Ⅰに掲載したテキストの全語彙をコンピュータによって正順と逆順にソートした「Text語彙索引」と「Text語彙逆引き索引」、及び「Note・和訳語彙索引」からなる。図版は碑銘の出土地の地理的位置を確認するため、現在のインド亜大陸における州・県を含む行政区分、及び出土地の地理的状況の指針となる局地図を掲載した。また主な仏塔・僧院の平面図などを収録した。インド仏教年表は、碑銘の年代的位置づけを理解せしめるため「政治・社会史」「文化・思想史」「仏教史」の3つの欄を設定した。以上の2巻に対して、鈴木学術財団特別賞(日本印度学仏教学会1999)を受賞した。

 巻Ⅲでは、1979年以来、ギルギット、バルチスタン、及びパキスタンの北方地域におけるドイツ・フランス・パキスタンの共同調査研究によって、30,000の岩石刻画と5,000を超える刻文がこの地域に存在したものと推定された。その一部が近年になって公表された。本巻には23地点の1,268碑銘のテキスト、和訳を収録し、巻IIと同様に「Text語彙索引」と「Text語彙逆引き索引」、及び「Note・和訳語彙索引」並びに図版を掲載した。また、序論には、刻文出土の地誌、聖地巡礼者の刻文、刻文に見られる仏・菩薩の信仰について論述した。

 『インド仏教における虚像と実像』(山喜房仏書林 2001)は、碑銘の視点から仏教展開の実像に迫り、改竄された伝承との相違点を解明することによって、信仰のドラマと教団形成の実態を明らかにする観点を提示した。仏教研究への誘い、碑銘は真実を語る、部派仏教の実体、教えの担い手たち、悟りはどのように捉えられたか、崇拝のかたちはどのように変わったか、教えはどのように弘まったか、民衆は教えをどのように捉えたか、共生はなぜ社会に必要であったか、を論じた。

 今年私は傘寿を迎える。これまでの来し方を振り返るとき、私は人生のそれぞれの転機に出会った多くの人々に支えられて生きてきた、との感慨を深くする。かつて教導を受けた恩師はすべて逝去された。人生のそれぞれの時点で出会った恩師・知己・学生をはじめとする多くの有縁の人々の援助なくしては、今日の私の存在はなかったであろう。私の研究の指針として与えられた視点と方法は、そのまま次の世代の研究者への提言として贈ることができよう。現在、私は数年後を目標に「アショーカ王碑銘の包括的研究」を進めている。完成を期したい。


◆プロフィール◆

塚本啓祥(つかもと・けいしょう)      (1929年生)

1953年熊本大学法文学部哲学科卒業(西洋哲学、特にギリシャ哲学を専修)。

1955年立正大学大学院文学研究科仏教学専攻修士課程修了。

1964年東北大学大学院文学研究科印度学仏教史学専攻博士課程修了(文学博士)。

1959年立正大学仏教学部講師、1962年助教授、1968年教授(大学院担当)。

1976年立正大学仏教学部長。

1980年東北大学文学部教授(大学院兼担)。

1993年東北大学名誉教授、宝仙学園短期大学教授・学長。

2002年タイ国立大学マヒドーン大学客員教授。

主な著書 本文中に掲載。

(CANDANA234号より)

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