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「明日への提言」

クザーヌスと庭野日敬

坂本 尭 (聖マリアンナ医科大学名誉教授)

一、はじめに

 今年2011年の初めにメールを開くとドイツのクザーヌス学会本部からの報せが届いていた。友人で学会の委員であるカイザー氏(AlfredKaisaer)が1月5日に病気のために亡くなったという訃報だった。彼は、クザーヌス研究者であるとともにトリアー大学に付属していたクザーヌス学会の役員として学会秘書フールマン女子と共に諸国の研究者の世話に当たっていた。その世話は大変行き届いていて、ドイツの国内外から参加する委員、会員、一般の参加者すべてが心から感謝していた。カイザー氏は20世紀のクザーヌス研究の第三陣に属する優れた研究者で、その実力からして諸国の研究を、現研究所長オイラー氏のもとでリードする人材であった。小生は公私ともども彼には大変お世話になって、その温和な風貌を今も思い出す。最近、国際クザーヌス学会を、高齢と持病のため欠席し、これまでお世話になったお礼を言えなかったことを残念に思いながら、お悔やみの言葉を送り、遠い日本から彼のご冥福を祈った。

二、世界のクザーヌス研究の回顧

 さて、現代のクザーヌスの研究を回顧すると、20世紀初頭から盛んになったクザーヌス研究の第一陣はドイツ、フランス、イタリアなどヨーロッパの諸大学であり、クリバンスキー、コッホ、ウィルペルト、ハウブスト、ガンデヤック、サンチネッロなどが有名である。1964年にクザーヌスの死後500年を記念してドイツとイタリアで国際学会が開かれ、それまでの研究が紹介され、現在の国際クザーヌス学会が設立され、クザーヌスは第二バチカン公会議の先駆者としてその平和思想が高く評価された。第二陣は彼等の弟子たちで、小生は1958年にドイツに留学し、哲学神学大学でクザーヌスを知ることが出来た。1964年にウイルペルト、クリバンスキー、ハウブスト諸先生と出会いお世話になった。まず、ケルン大学のウィルペルト先生の指導の下で、クザーヌスにおける「人間の尊厳」の思想について研究を始めた。同僚として、今も世界の研究の指導的立場にあるゼンガー氏、スペインの故コロメアー氏などがいた。その後、日本のクザーヌス研究者大出哲氏が留学してハウブスト先生の下で研究することとなった。帰国後、私は彼と日本クザーヌス学会を創立することになり、日本のクザーヌス研究が始まった。今は、その後をついで早稲田の八巻、京都の園田両先生を中心にクザーヌス研究者たちがヨーロッパ、アメリカの研究者とともに研究を進めている。

三、クザーヌスと庭野日敬の平和思想

 両者の最大の功績は平和思想であり、彼等を結んだのは第二バチカン公会議である。ドイツのダビンチと言われるクザーヌスは、1401年モーゼル河畔のクースに船頭の子として生まれ、奉公に出され、苦学して貴族に出世して、ヨーロッパ封建社会を改革した。この生い立ちは庭野日敬師のそれと非常に似ている。さて、クザーヌスの知識の豊富さ、革新性、独自性などは伝統的神学者からの攻撃に曝され、その社会改革的、民主主義的、創造的な思想と活動は教会と貴族から危険視された。とくに自然科学、天文学、地理学、医学などの自由な研究を重んじた研究態度と基本的人権を強調する彼の法学者としての政治的活動は目覚しいものがあり、枢機卿という貴族に出世した。それだけに身分差別の激しい当時の貴族たちから、成り上がり者とさげすまれ、最後にはオーストリア大公から攻められ、幽閉された。解放後も良心を曲げず十字軍戦争に反対した。彼はそのために好戦的な教皇、貴族たちから排斥され、卑怯者として軽蔑され、失意のうちに64歳で故国ドイツを遠く離れたイタリアで没した。結局、彼の良心の平和への叫びはヨーロッパの支配者や宗教家の心に届かず、教皇を頭とした十字軍は彼の死を超えて進んでいった。こうして宗教戦争は聖戦と呼ばれ次第にユダヤ、イスラムに対してだけでなく、キリスト教異端者に対しても行われた。多くの血が流れ、戦争はヨーロッパから世界の各地に広がり、アジヤ、アメリカに戦火は及んだ。20世紀の二回の世界大戦の悲劇を経て、人類はその滅亡を恐れて次第にクザーヌスの平和思想を求めるようになった。その死後500年たって、彼の平和の叫びは、やっとキリスト教会、第二バチカン公会議の心に届いたのである。クザーヌスの霊は神とともにいつも生きており、この公会議で叫んだのである。

 ところで、このクザーヌス平和の叫びは、不思議にも第二バチカン公会議に特別ゲストとして招かれた仏教徒庭野日敬師に最も深く理解された。十字軍思想に毒されたキリスト教徒には表面的にしか理解されなかった。この歴史的な東西の遭遇に神仏の人類への愛と慈悲の偉大さを感じるのである。世界平和に対する日本民族の使命はクザーヌスと庭野先生とのこの公会議での人類史的な出会いから始まった。無限の宇宙とその無限の歴史を考えると、ローマと日本の隔たり、500年間の時間の差は無に等しい。宇宙的視野に立つと両者は時間的にも場所的にも一つである。両者の魂を貫き結んだのはその平和思想である。平和を守るために人は武器を放棄し、戦争特に宗教戦争をしてはならない。宗教は戦争の人殺しとは両立できない。

 さて、キリスト教会と立正佼成会とは別の宗派である。キリスト教も仏教も創立者が死去すると、別人の弟子たちは創立者の根本精神を自分の判断で解釈する。それは時とともに大きな違いになる。戦争を否定したキリスト教がいつの間にか戦争肯定の宗教となってしまった。弟子たちは宗教団体を作り、権威者と支配組織を決め、教義を解釈する自由を制限するようになる。カトリック教会の歴史を見れば2000年の間に皇帝または教皇が公会議を招集し多数決で特定の解釈を定め、それ以外の解釈は異端として破門し処罰するようになった。クザーヌスもそのキリスト教解釈が汎神論だとして、攻撃され弁明書を書いて破門罰を避けねばならなかった。しかし、クザーヌス時代の教会は十字軍兵士がイスラム兵を殺すことで天国に行くと教えた。クザーヌスはこの教えはイエス・キリストの精神に反するとし、十字軍に反対したのである。

 イエス・キリストが平和を教え武器を取り戦うことを禁じたことは、聖書の中に明らかであり、釈尊も生き物を殺すことを禁じた殺生戒を教えたことも明白である。それにもかかわらず、キリスト教徒は十字軍ばかりでなく、現代の戦争においても兵士として殺人を犯しており、原子爆弾を落として広島、長崎の数十万の人間を殺戮した。さらに強力な兵器を開発製作して戦争の脅威を拡大している。ユダヤ教徒、イスラム教徒も同じであり、また仏教徒も例外ではない。日本仏教では僧兵が存在し、仏教徒の武士は戦争で殺人をすることで手柄を立て、大名になった。インドやスリランカなどでも仏教徒は戦争とは無縁ではない。本来仏徒は釈尊の不殺生の精神に従い、戦争に反対し、武士、軍人、兵士になることを拒み、武器を捨てるべきではないだろうか。庭野日敬師はその精神にしたがい、国連総会で平和のために軍備を捨てる勇気を強く強調した。しかし、キリスト教徒は軍備や原子兵器を捨てることはなかった。むしろキリスト教国家とイスラム国家、ヒンドゥー国家イスラエルなどでは国内外の民族的、宗教的対立が激しくなり、国際テロの時代となりつつある。

四、むすび

 クザーヌス・庭野平和論の未来についての考察をもってこの小論を結びたい。人類は精神的にまだ幼稚であり、戦争を悪と断じても、神のための聖戦論やアリストテレスの正当防衛戦争の思想から卒業できないでいる。人類はいかにしてこの科学的野蛮人から、戦争なき人類に発展進化できるのか。クザーヌスの哲学、庭野日敬先生の著書「人間への復帰」がすべての人間に読まれ、その平和思想によってすべての人の魂が改まるとき、平和な人類が地上に生まれるであろう。そして彼等が明るい社会を建設するときクザーヌス・庭野平和論はその目的を成就すると信じている。それが数百年、数千年かかるとしても人類はそれを達成するであろうし、達成しなければならないと思う。


◆プロフィール◆

坂本 尭 (さかもと・たかし)       (1927年生)

昭和35(1960)年、上智大学院修士課程卒業、昭和38(1963)年、西ドイツ聖ゲオルグ哲学神学大学卒業、昭和43(1968)年、ケルン国立大学哲学専攻博士課程終了後、上智大学助教授、濁協医科大学教授、聖マリアンナ医科大学教授を経て、現在、聖マリアンナ医科大学名誉教授、明海大学歯学部客員教授、国際クザーヌス学会学術顧問。

著書に『カトリックと日本人』(講談社)、『西洋思想史』(エンデルレ書店)、『宇宙精神の先駆クザーヌス』(春秋社)、『新カトリックと日本人』(星雲社)、共訳にニコラウス・クザーヌス著『隠れたる神』(創文社)など多数。(1927年生)

(CANDANA245号より)

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