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「明日への提言」

宗教活動の革新を生む土壌──タイにおける開かれた僧院組織

矢野 秀武(駒澤大学准教授)

1、タイ仏教の制度的特徴への注目

東南アジアに位置するタイ王国は、日本とゆかりの深い国の1つである。昨今では日系企業の工場だけでなく、日本の飲食業界の進出も目を見張るものがある。日本からタイを訪れる観光客も毎年100万人を優に超えており、また約5万人の日本人がタイに住んでいる(2011年)。一方、日本に居住しているタイ人の人口は約4万3千人となっている(2011年)。近年ではタイから日本への宗教面での流入も見られ、少なくとも3系統の団体が、それぞれのタイ寺院を日本に建立している。今後日本でも、タイなどアジア諸国の宗教関連情報の必要性が増して行くことだろう。

筆者はこれまでタイの上座仏教の研究を行ってきた。当初は、都市中間層を中心に広まった新興の仏教集団であるタンマガーイ寺について研究を行っていた。日本にも多くの支部を持つ寺である。この寺は、経済成長期が始まったタイの人々の感性に呼応した活動を展開し、初心者も実践しやすい独特の瞑想を基盤に、イベントやメディア戦略・IT 化なども自覚的に取り入れ、多くの若者の興味を引き付けてきた。

その後筆者は、タイの宗教行政や宗教制度についての研究を行ってきた。それは、タイの宗教、特に仏教が多様な活動を展開できる制度的背景を明らかにすることにもつながる。例えば、タンマガーイ寺を含め、タイでは一般社会に積極的に関わる仏教の諸活動が数多く現れている。教育や福祉などの公的領域での活動で注目を浴びている僧侶なども少なくない。その背景には、いわば宗教への国家介入的な制度と、その制度を可能な範囲で使いこなす宗教者との間の、相互関係がある。日本の宗教の公共性をめぐる在り方を考察するうえで、参考になる知見も少なくない。

タイの一部の僧侶や宗教者の活動は、これまでも日本で紹介されてきた(例えば開発僧など。開発僧とは仏教の教えや儀礼的慣習に基づきつつ、住民参加型の地域開発や精神的指導を行う僧侶)。確かにタイの個々の宗教者から我々が学ぶべき点は多い。しかし個々の活動や精神性から学ぶだけでなく、多様な運動や革新(イノベーション)を生み出す柔軟な制度や仕組みにも、我々は注目すべきだろう。以下、そう言った点から、タイの宗教事情を紹介してみたい。

2、宗教活動の革新と外からの風

先のタンマガーイ寺もそうであるが、現地の人々だけではなく、外国人の宗教研究者が注目するタイの僧侶・宗教者の活動には、ある特徴がみられる。それは、現代社会への思想的提言、社会変化に対応した活動などである。もちろん、地元の小さな寺で信頼される無名の出家者、瞑想実践や呪文・守護力に長けているとされる宗教者、話芸ともいえるほど語りが巧みな僧侶、あるいは三蔵聖典や注釈書に詳しい学僧など、タイの現地の人々が日常生活において、信仰の対象としている僧侶・宗教者の方が、全体での占める割合ははるかに大きい。しかし多くの研究者やマスコミは、前者の僧侶や宗教者に注目する。

なぜなのか。それはこれらの僧侶・宗教者の活動に革新性が見られるからである。しかも彼らの多くは、幼い頃から僧院で修行を積んできた生え抜きの僧侶・女性出家者ではない。一度社会人としての経験を積んだ者や大卒以上の高学歴者が多いのだ(開発僧の先駆けとなった農民出身比丘ナーン師のような例外もあるが)。修行者の世界に外の風を取り込み、革新を生み出す人々なのである。

例えば先のタンマガーイ寺を率いる初代の住職と副住職は、在家者であった農学系大学の学生時代(1970年代初頭)に大学生向けの仏教集団を形成し、卒業後に出家して寺院運営を拡大していった。また、タイ仏教界の守護力志向や消費主義を強く批判し、独自の政治運動も展開してきたサンティアソークという仏教団体があるが、その指導者ポーティラック師は、テレビ番組のプロデューサーや作詞・作曲家として活躍した後に僧侶となった。他には、社会問題を取り上げた著述活動を行っているパイサン師という比丘がいるが、彼は軍の影響が強かった時代に大学生として民主化・非暴力運動に参加し、卒業後にNGOで働いてから出家している。さらには、エイズホスピス寺院として日本でも有名なプラバートナンプ寺院の住職アロンコット師は、オーストラリアで理系の修士号を取得し、タイ文化省に勤めて後に出家している。そして、仏教のオールタナティブ教育と地域活性化を組み合わせた活動を全国的に展開している比丘ポンナリン師も、国内の工学系修士号を取得後に、僧院入りしている。

比丘(正式な男性僧侶)ではないが、注目を浴びている修行者も同様の傾向がある。事故で首から下の自由を奪われつつも瞑想指導と法話で人々を導いているカンポン氏は元教師であった。問題を抱える女性の精神的支援と社会的支援を行う、一種の駆け込み寺をつくった女性修行者サンサニー尼は、出家前には売れっ子のモデル・テレビ司会者であった。さらに、上座仏教圏の比丘尼(正式な女性僧侶)復興運動に関わり、タイで最初の比丘尼となったタンマナンター師は、元大学教員であった。

3、短期出家の慣行

このように仏教界以外の生活経験があり、なかにはそこで一定程度の成功を収めてきた人物が、出家者(もしくは宗教指導者)となって、社会に積極的に関わる新たな活動を展開しているのである。しかし、なぜそのようなことが生じるのだろうか。

その要因の1つとして、一般人が出家者の世界に比較的簡単に入れる仕組みがある点を指摘できよう。出家の制度や慣習に一種のお試し期間があるという事である。タイでは、男性で一定の資格(パーリ語を用いた出家儀式を習得している、借金がない、伝染病患者ではないなど)を満たせば、僧侶としての出家が比較的簡単にできる。もちろん、出家初心者として学ばなければいけないことは多いが、志一つで職業的宗教者の世界に飛び込むことはできる。そしてその多くは、短期の出家生活を経験してから還俗し社会に戻る。還俗後に出家先の寺院と繋がりを持つかどうかは、その人次第であり、特定寺院の信徒として囲い込まれることは少ない(例外的な寺院もある)。もちろん還俗せずに、出家生活を継続する者もそれなりの数に及ぶ。女性の場合でも、正式な僧侶ではないが出家者として寺院で修行をすることは、それほど敷居の高いことではない。

つまり、出家者の世界は、閉ざされた終身制のようなものではなく、出入りの激しい動的均衡の状態にある。その上、人生の一定時期に、出家生活を経験することができる(あるいはそれが推奨される)お試し制度がもうけられているのである。お試し先は、どこの寺でも良い。それぞれの縁を頼りに出家する。

似たような制度・慣習は現代日本にもみられる。例えば、各地の巡礼・修行などである。四国遍路や大峯の奥駈けなど、一方で、地元の宗教施設や宗教者・篤信家を中心とした固定層と、他方で、あたかも短期出家のように、日常生活を一時的(中には長期にわたって)脇に追いやり、外の世界から巡礼・修行にやってくる流動層やリピーターがいる。しかし、日本の巡礼・修行の場合には、その行場から社会に積極的に関わる革新的な宗教活動が数多く生まれるというわけではない。

4、多面的・多元的に開かれた集団

日本の巡礼とは異なり、タイの場合には、社会人や大学生たちが出家を試みて後(あるいは在家者として僧院での修行生活を経て)革新的な宗教活動を生み出す宗教者となってきた。彼らはなぜ、社会や地域に関わるためのルートとして僧院入りを選択するのだろうか。

もちろんそこには、タイ社会において、仏教や僧侶が価値あるものであり、多くの人々に認められているという前提はあるだろう。さらに国がサポートする公認された宗教である上座仏教は、国からの一定の介入を受ける反面、公の組織としての信頼性が確保されている点も指摘できる(タイではイスラームやキリスト教等も公認されている)。

しかし、そのような公認制度や信頼性だけで、新参僧侶・新参出家者がいきなり革新的な運動を展開できるわけではない。革新が生まれるもう1つの要因と言えるのが、僧院およびそこで修行する僧侶という存在が、多面的・多元的に外部に開かれており、自由に活動を行う余地が広いという点である。

例えば、僧院は地域社会や行政や時には企業ともつながりを持っている。また、出家前の世俗社会での人脈や自己資産を、何らかの形で出家後の活動に用いることもある。さらに、タイ全土の寺をまとめるタイ国サンガの組織、僧院大学関係者の全国的ネットワーク、個々の寺を越えた僧侶の師弟関係の繋がりもある。加えて僧侶が所属寺院を変えることも珍しくない。つまり、僧院の外部へのつながりは極めて多面的なのである。他方、寺院内部は多元的な組織でもある。寺院は、タイの世俗法で管理されたタイ国サンガといった全国組織の中に位置するが、寺、寺内部の派閥、僧侶個人といった各層の独立性が高い。そうなると、地域社会・行政・企業・出家前の人脈、サンガ組織、僧院大学関係者の全国的ネットワーク、僧侶の師弟関係の繋がりなどに対して、寺、寺院内派閥、僧侶個々人の各層が多元的な関わりを持つことになる。

つまり僧院は、外部への多面的ネットワークと寺内部の多元的な行動主体といった二次元の組み合わせからなる、経営学でいう「マトリックス型」の組織に近い。ただし組織というほど凝集性や単一の目的を持っているわけではない。企業にたとえれば、「転職」しやすく「社内ベンチャー」も行いやすい開かれた側面が、タイの僧院の1つの姿といえる(もちろん生え抜きの僧侶を地道に育てていく面もあるし、サンガ法による規制といった組織の持続性・硬直性につながる一面もある)。

ただし、このような制度は、凝集力に乏しく、広域に及ぶ持続的な活動を展開するには、いささか力が足りない。しかし、変化が激しく、貧富の差が大きく、また多文化・多民族状況といった、生活様式も社会問題のあり方も多様化している社会においては、局所的な革新を素早く達成できる制度は、意外と適合するかもしれない。

もちろん無意識な日々の積み重ねの慣習と、状況に即した意識的選択の複合からなる制度を、他の国や地域で簡単に導入はできないだろう。また日本の全ての宗教組織や制度がそうなる必要もない。しかし、1つの組織(ないしは組織連合)でありつつ、外部の風を取り入れ、囲い込まず、流動性の高い動的均衡を維持し、小さな革新を局所的に展開できるような宗教集団や制度・環境を形成するといったことは、日本の宗教集団と社会との関係の新たなモデルとして考えてみる価値はありそうである。


◆プロフィール◆

矢野 秀武(やの・ひでたけ)       (1966年生)

東京都生まれ。法政大学社会学部卒業、2002年に東京大学大学院で博士(文学)を取得。日本学術振興会特別研究員などを経て、2008年より駒澤大学准教授となる。

【主な業績】

『現代タイにおける仏教運動-タンマガーイ式瞑想とタイ社会の変容』東信堂、2006年。

「『宗教の社会貢献』論から『宗教研究の社会的マネジメント』論へ」 「宗教と社会貢献」研究会 『宗教と社会貢献』第1巻第2号 2011年10月 49-71頁。

「仏教・国王・学生と絆づくりのイノベーション-学校がつなぐ寺院と地域」 櫻井義秀編著 『タイ上座仏教と社会的包摂-ソーシャル・キャピタルとしての宗教』 明石書店 2013年 256-287頁。

(CANDANA254号より)

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