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「明日への提言」

新宗教における過疎と高齢化

渡辺 雅子(明治学院大学社会学部教授)

■伝統仏教にとっての過疎問題の切実さ

伝統仏教では、過疎地域の寺院のことが以前から切実な問題として取りあげられてきた。『曹洞宗宗勢総合調査報告書』(2005年)によると、調査対象寺院14,637カ寺のうち、24.6%にあたる3,597寺が過疎地域に立地している。過疎地域の寺院の23%が専従の住職がおらず兼務者によるもので、無住の寺院も3%ある。過疎地域の37%の寺院には後継者がいない。

このほか、日蓮宗現代宗教研究所や浄土宗総合研究所においても継続的に過疎地域における寺院についての実態調査が行われ、今後のあり方について検討されてきた。過疎地域では、壇信徒の減少、寺族の生活苦、住職不在、後継者不足、寺院建築物の維持困難が起きている。伝統仏教では過疎は寺院の存立基盤を揺るがす問題としてある。

■新宗教にとって過疎は問題なのか

新宗教の場合、都市化の過程の中で、都市に流入した人々に対して、小集団による活動で新しい共同体を与え、高度経済成長期の人々のニーズをくみ取った。それでは新宗教教団にとって過疎は問題なのだろうか。

以前、伝統仏教、神道、キリスト教などに並んで、新宗教と過疎、高齢化についての話をしてほしいという依頼があった。引き受けたものの、新宗教は都市型だからこのテーマはそぐわないのではという思いが続いていた。その時に、東日本大震災のニュースで立正佼成会の総戒名がうつっていたことが脳裏にうかんだ。全国的に展開している新宗教の場合、当然、都市以外のところにも拠点があるはずである。そこで立正佼成会本部の協力を得て、全国の過疎マップと教会・拠点の所在地を照合した。ここではまずは数量的な統計データをとりあげ、ついで、聞き取り調査から札幌教会の夕張支部、鹿児島教会の実態をとりあげたい。

■立正佼成会の教会・拠点の過疎地域立地の現状

佼成会の教会は全国に238あるが、そのうち過疎地域に立地するのは27教会、11%である。伝統仏教の寺院に比べて過疎地に立地するのは明らかに少ない。しかし、教会道場を含む布教拠点でみるならば、613拠点のうち335拠点、55%が過疎地域を抱えている。新宗教は都市型である、という思い込みからみると、この結果はある意味で衝撃的であった。

布教拠点が過疎地域を含む割合が高いのは(全体の平均より高いものを抽出)、支教区別では、北海道(68%)、奥羽(94%)、東北(88%)、福島(88%)、新潟(58%)、甲信(95%)、四国(80%)、中国(83%)、山口(86%)、北九州(77%)、西九州(75%)、南九州(100%)である。

■札幌教会夕張支部にみる過疎の影響

夕張市はかつて炭鉱の町として栄えた。1960年のピーク時には11万人を超える人口を有していた。しかし、2010年の国勢調査によると人口はその十分の一の1万人に減少している。また、世帯あたりの平均人数は2人を切っている。1990年に最後の炭鉱が閉山し、2007年に財政破たんし、財政再建団体となった。

佼成会の会員のほとんどは元炭鉱関係者で、多い時は500-600世帯の会員数がいた。現在の会員数は63世帯で、高齢化し、夫婦世帯は少なく、夫と死別した一人暮らしの女性が多い。年齢的には50歳以下は5-6人で70代がほとんどである。

ここには300人の収容が可能な道場がある。道場当番は9時-15時だが、夕張では数少ないバスの時刻表に合わせるため10時から14時15分までにせざるをえない。当番は月に1-2回あたる。月に2回は多いということで、支部長や主任が1人で当番をすることもある。以前は1週間に1回、当番は3人体制だったが、人数が確保できなくなり2人体制になった。当番の人(全員女性)が病院通いで来られないこともある。支部長(60代女性)は道場に毎日行く。主任は4人おり、全員女性で50代が1人、60代が3人である。このうち車の運転ができるのは1人のみにすぎない。主任4人のうち、2人は仕事をもっている。会計も仕事をもっている。以前は夫が働き、妻が佼成会のお役を毎日組でやっていたが、今は家計維持のため女性も働かないといけないので事情が変わってきている。

しかしながら、高齢者にとって佼成会は重要な役割を担っている。第一に、コミュニケーションの場としての役割である。「法座では膝がいたいとか、病院に行くとかいった話題が出る。来るところがあるからありがたいなぁという話も出る。今は近所での『お茶のみ』もなく、買い物に行くくらいしか外出することがない。佼成会の会員は元気で身綺麗にしている。人と話をするので声も出る。隣近所の人から見たらはつらつとしている」のである。

第二に、見守り・セーフティーネットの役割である。「会員の場合、孤独死はいない。佼成会に入っている人で、ふだん道場に来ている人は心配ない。来ていた人が来なくなったら気になる。また、病院通いをしているとかは把握している。来ない会員には主任は目を向けている。帰りに寄ってみたり、電話をするなど気をつけている。」また、月に2回は主任や組長が会員宅に『佼成』や佼成新聞を届けている。その時に体調を尋ねている。

第三に、生活支援である。「何かあったら主任に連絡すれば病院に連れて行ってもらえる。場合によっては、札幌の病院まで連れて行く」という生活上の便宜を図ってくれる存在でもある。

■鹿児島教会にみる過疎とそれへの対応

鹿児島県は都道府県別高齢化率では、全国9番目で、高齢化率が高い地域である。鹿児島教会は、鹿児島市および周辺都市、薩摩半島・大隅半島所在の山間市町村、種子島・屋久島・奄美諸島の三地域に地理的に分断されている。鹿児島市内に教会道場があり、県内にほかに11拠点ある。教会道場と陸路でつながる4拠点、フェリーで行く2拠点、離島5拠点である。徳之島には道場があるが、あとは一戸建ての家を法座所として教団が借りている。鹿児島市内以外は過疎地域である。教会道場は70代が1割くらいだが、地方は一人暮らしの高齢女性が多い。支部長の下の主任が布教現場の最前線であるが、高齢化と高齢でない場合も兼業主婦化が目立つという。徳之島の道場は現地のたっての希望で30年前につくったが、現在、会員数は68世帯で、主任は4人いるが、若い人で72歳である。宿直はしないが、当番がある。

鹿児島教会の統括範囲が地理的に分断されていること、そして鹿児島市内以外は過疎地域であることを踏まえ、いくつかの工夫が行われている。

第一に、2008年にインターネットテレビ放送網をひいた。過疎、高齢化というのは生活の範囲が狭まる。過疎化は情報過疎でもあるという考えによるもので、海と山で分断されたサンガをつなげるための工夫である。これは、一方向ではなく、双方向のテレビ放送網で、パソコンを使えない高齢者でも簡単な訓練があれば使えるシステムである。

第二に、高齢者が最低限、地元の法座所に来られるようにするためには、車での送迎が不可欠である。そこで主任は、車の運転ができる人を選ぶようにした。支部長、会計、主任は運転できる人が望ましい。

第三に、社会福祉専門担当が設置されていることである。これは鹿児島教会独自ではなく、佼成会本部で「高齢社会への取り組み」として設置されたものである。友愛訪問(安否確認含む)、福祉相談(社会的資源との関係をつなげる役)、世代間交流をする。支部長・主任と連携をもちながら、高齢者問題の担当者がいる。65歳以上の支部長経験者や男性の退職者がこれにあたる。

第四に、高齢会員にはSOSというフォームをつくり、子どもの連絡先、服用薬、薬の置き場所などの情報を書いた用紙を冷蔵庫にはっておいてもらう。何かあった時にはすぐ連絡がつくようにするためである。

第五に、島布教員の設置がある。これは支部長経験者で、独り身の人に頼むというが、1カ月に一度、2週間かけて与論島からはじまり島をわたり、鹿児島市に戻る。島布教員は法座所・道場での供養・法座のほか、各家の供養に回る。これには安否確認の意味もある。

このほか、日常的には佼成新聞、『佼成』の配布のために、主任・組長が月に2回程度会員宅を訪問し、安否確認の役割も果たしている。

布教上の課題として、支部長、主任をどのように若返らせるかという問題がある。支部長の方を先に若返らせている。導きについては、すでに血縁、地縁で導きをすでにしているので、飽和状態で新たな導きは難しい。また、他地域に転出した子弟には転入先にある教会に転入願いを提出している。過疎は流入先の対策を練ることも大切で、転入した人がスムーズに教会サンガに入ってこられる受け入れスキルも必要だという。子どもが佼成会をやっていないと過疎地域の人達が信仰の喜びを味わえないからである。

■新宗教における過疎・高齢化への取り組みの必要性

新宗教は伝統仏教と異なり都市型である。したがって過疎問題はそれほど深刻ではないと思っていた。その結果は裏切られ、新宗教の場合も過疎化、そしてそれに必然的に伴う高齢化による影響は免れなかった。これは今後より深刻な問題になることが予測される。

佼成会の場合、現場ではさまざまな工夫がなされ、困難な状況の中でもその内実が保てるように努力がみられたが、伝統仏教のように教団として取り組むということはなかった。それにはいくつかの理由が考えられる。第一に、過疎地域を含む拠点があるにせよ、教会道場の立地は県庁所在地を含む都市であること。第二に、伝統仏教の寺院は個々が宗教法人として独立しているが、佼成会は一つの宗教法人のもとでの中央集権的な組織形態をとっている。財の面でも個々が独立採算制をとる寺院に比べ、本部でいったん布施を集めて布教費として再分配するシステムのため、財の問題は顕在化していなかった。第三に、世襲で教会、支部を継続していくものではないことである。

しかしながら、新規布教が難しくなっている状況の中で、信仰継承が望まれる子ども世代が過疎地域から都市へ移住していき、高齢者のみ残るということは、地域社会の信仰共同体の危機でもある。しかしまた、過疎化していく地域社会の中にあって、困難な状況はあるが、宗教ネットワークがセーフティーネットともなっていることがわかった。とはいえ、教団としての取り組みは一部みられるものの現場の幹部の努力に依存していることも事実である。今後は拠点の改廃も視野にいれなければならない状況がくるかもしらず、新宗教教団にとっても過疎・高齢社会への取り組みが求められることだろう。


◆プロフィール◆

渡辺 雅子(わたなべ・まさこ)       (1950年生)

東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、東京教育大学大学院修士課程修了、東京都立大学大学院博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。明治学院大学社会学部教授。

専攻分野:宗教社会学、移民研究、ライフヒストリー研究。特に、日本の新宗教の異文化布教について、ブラジル、アメリカ、韓国、台湾、モンゴル、バングラデシュ、インド、タイ等でフィールドワークを重ねている。

著書:『ブラジル日系新宗教の展開――異文化布教の課題と実践』(東信堂、2001年)、『現代日本新宗教論――入信過程と自己形成の視点から』(御茶の水書房、2007年)、『満洲分村移民の昭和史――残留者なしの引揚げ 大分県大鶴開拓団』(彩流社、2011年)他

(CANDANA256号より)

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