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「明日への提言」

世界と共に笑いたい~文化伝道と平和活動としての英語落語の意義

大島 希巳江(神奈川大学教授)

英語落語公演を始めたきっかけ

 いまも毎年数カ所に英語落語の海外公演へ出かけます。これまでに、ノルウェイ、ドイツ、ベルギー、スペイン、ブルガリア、トルコ、アメリカ、オーストラリア、イスラエル、シンガポール、マレーシア、タイ、フィリピン、インド、パキスタン、ブルネイ、中国、などなど多くの国や地域で公演ツアーをしてきました。1998年に上方の落語家さん3名を連れてアメリカ公演ツアーをしたのが英語落語の最初でしたから、もう18年も続けてきたことになります。もともとのきっかけは、1996年シドニーで行われた国際ユーモア学会での出来事でした。この頃私は大学院で異文化コミュニケーションと社会言語語学を専門として、多文化・多民族社会の平和共存の研究をしていました。その中でもユーモアと笑いの重要性と機能について研究をすすめていたところでした。ところが、この学会の会員には日本人がたった3人しかいなかったので、日本に関する質問が私に集中しました。特にその中でも、「日本人にもユーモアのセンスがあるのか」「日本人は笑わないというイメージがあるが、笑うこともあるのか」など、日本人のユーモアと笑いに疑問を投げかけるものが多かったのです。数少ない日本人のユーモア研究者として、この質問にはっきりと具体例を出して「ぎゃふん」と言わせることができなかったのを悔しく思いました。

 そこで、次の年には必ず日本の笑いを紹介すると約束をして、帰国したのでした。それからは必死で海外で紹介できる日本の笑いを探しました。日常会話で起きる笑いは内容が内輪過ぎて説明がつかないし、漫才では他の国のマネではないという証拠がないので、日本オリジナルの笑いであると言い切れないし、なかなか苦労しました。いろいろ回り道した挙句、たどり着いたのが落語でした。それまで落語を聞いたことがなかったので、まさにゼロからのスタートです。寄席やさまざまな落語会へ出かけ、多くの落語家さんから話をうかがい、ようやく一年かけて準備したのです。

 翌1997年、上方落語家の笑福亭鶴笑さんを連れて、オクラホマで開催された国際ユーモア学会へ乗り込みました。大成功でした。一般のお客さんも、世界のユーモア研究者たちもおおいに笑い、納得してくれました。その後、私が鶴笑さんに英語を教え、鶴笑さんが私に落語を教える、ということで英語落語の公演を海外でやってみよう、と二人で盛り上がりました。1997年7月、オクラホマ大学の広大なキャンパスの中、大きな木の枝にぶら下がりながらそう話して決めたのをはっきりと覚えています。

英語落語の難しさ

 とはいえ、それからが大変でした。英語で落語ができるように落語家をトレーニングすること、資金を集めること、英語落語をつくること・・・。すべてにおいて素人でしたから、苦労しました。中でも、落語を英語にするのは一苦労です。今では新作もやりますが、やはり古典落語なしというわけにはいきません。日本独特の習慣や言い回しがぎっしりつまった落語ですから、翻訳できない部分もたくさんあります。特に、シャレは訳せないので使えません。といってシャレのない落語になると笑いどころが減ってしまい、つまらない英語落語になってしまいます。そのため、英語のシャレを作っていれることもあります。

 このように英語落語を練り上げていく過程で、一番感じるのは日本語のことばの真意を考えるようになる、ということです。このことばの本当の意味は何か、なぜこの登場人物はこのような言い方をするのか、「麩」は何でできているのか、といったことを真剣に考えなければ英語にすることができないのです。英語落語に深く関わることで、日本語と日本文化の再発見を日々しているということになります。私は高校、大学とアメリカで教育を受けたので、その頃日本の良さをつくづく感じたことがあります。アメリカの社会、文化を知ることによって初めて日本との違いを理解し、日本の社会、文化が見えてきたのです。他を知ることで自己を知る、そういった点ではあの時に共通する体験をいま再びしていると思います。

 しかしそれでも、英語落語をはじめたころは批判も多かったものです。落語のような日本独特のものが外国人にわかるのか、そんな中途半端なものを外国に紹介するくらいなら、やらないほうがいい、邪道だ、などなど・・・。落語が好きな人ほど、批判的でした。やはり思い入れがあるのでしょう。しかし、このような完璧主義は文化の普及に繋がりません。完璧でないならやらないほうがまし、というのは完璧な英語でなければしゃべらないほうがいい、という考え方に似ています。でも、それではいつまでも英語はしゃべれるようになりません。

 当然、言い回しやシャレが英語ならではのものに変わったりするので、英語のRakugoと日本語の落語はたしかに同じものではありません。私はいつもこのように説明しています。英語落語は寿司でいうところのカリフォルニアロールなのです、と。カリフォルニアロールは、お寿司が好きな人や寿司職人にしてみると邪道で、あんなものは寿司ではない、と思われるでしょう。しかし、カリフォルニアロールがあったからこそ、sushiは世界に広がっていき、いまや人々に愛される日本を代表する食べ物となったのです。外国では、最初から生のまぐろのにぎりを食べる人はなかなかいませんでした。でも、生ものの入っていないカリフォルニアロールであれば、食べやすかったのです。そうしてカリフォルニアロールが好きでsushi bar に通っていた人々が、やがてまぐろやはまちのにぎりも食べてみよう、という気になったのでしょう。

 Rakugoも、カリフォルニアロールと同じように、英語なので聞きやすい日本の芸能としてまずは楽しんで親しんでもらいたいと思っています。そしてそれをきっかけに、日本の文化って面白い、日本人ってそういう習慣があるんだな、と興味を持ってもらえればいいと思っています。それが英語落語の役割だと思います。

海外公演の意義

 もともとは、日本人にもユーモアのセンスがあるということを世界に知らしめたい、という思いで始めた英語落語ですが、何年か続けているとこの活動がもっと意義深いものであるということに気がつきました。まずは、日本文化の普及につながり、より日本人を理解してもらえるということです。この点において、笑いの効果は絶大です。笑いは敵対心を取り除き、異なるものを好意的に受け入れさせる力があるのです。落語を通して日本文化を伝えると、海外の人々にとって異文化になる日本文化を、より好意的に理解してもらうことができるのです。

 たとえば、そばを音を立ててすすりこむ、という習慣があります。これも、文化の一つなのです。お蕎麦屋さんがいうには、そばは空気と一緒にすすりこむから、香りが鼻に抜けておいしいんだ、ということだそうです。音を立てて食べるのが正しい食べ方なのです。落語の中では、このように音をたててそばをすすりこむ場面がよく出てきます。ところが、特に欧米の習慣では音を立ててものを食べるのはひどく失礼なテーブルマナーとして知られています。このような文化の違いは、いつも海外で落語を演じるときにどうするか考えてしまいます。

 しかし実際には、このような時こそ日本文化を伝えるよい機会だと思います。「時そば」の噺などでも、そばをすすりこむ文化について面白おかしく簡単に説明してから演じると、逆に観客からよい反応がかえってきます。そばをすすりこむ音を立てるたびに拍手が起こるなど、日本の落語会では見られない光景です。また、海外の英語落語会では最後にアンケートを時々とるのですが、本当に多くの方が「日本の文化は面白い。あのように音を立てて公共の場でものを食べてよいのなら、是非日本に行ってやってみたい!」というような感想を書いてくれます。日本文化という異なる文化を好意的に受け入れてくれた、瞬間を見た気がします。自分の国ではできないから、是非日本で・・・、そう考えて本当に日本に興味を持って来る人が一人でもいたらうれしく思います。生真面目な講演の中で日本文化とは、を難しく語られると拒否反応を起こすかもしれませんが、落語という笑い話の中で日本文化を伝えられると、すっと受け入れてしまう、笑いにはそんな効果があります。

平和活動として

 また、ここ数年で特に感じることは英語落語の公演をさまざまな国や地域で行うことによって、現地の人たちと友好関係を築いているということです。日本人である私たちが英語落語を演じ、世界各国の観客と一緒に笑う・・・、とても友好的で平和な環境がつくりだされていると感じるのです。公演のあと、多くの観客と握手を交わしながら笑顔で「面白かったよ」「日本人を見直したよ」「また来てね」など声をかけてもらうと、相手がインド人であろうと、中国人であろうと、ノルウェイ人であろうと、もう関係なく仲良くなってしまうのです。一緒に笑うことによって、敵対心がなくなり、相手のことを「いい人なんだ」と実感することができます。目の前にいる素晴らしい人たちと、これから何があろうと争うようなことには絶対にしたくない、と思うのです。

 今後、どこの国とどういう理由で敵対関係になるかわかりません。どこの国に対して悪いイメージを抱くようなことが起きるかわかりません。そのようなことにならないのを願うばかりですが、もしそうなっても「あの時、英語落語会で出会った日本人は面白い、いい人たちだった」ということを思い出してもらえるのでは、と思います。そして私たちもどのようなひどい事件が起きても、パキスタンで出会ったキラキラ目を輝かせて笑っていたあの無邪気な子供たちは、悪くないということを知っています。個人個人は善良な人々なのだ、ということを知っているので争いたくないと思うのです。

 私たちの英語落語を見て楽しんでくれた人々も、きっと同じように思ってくれていると感じます。大きなことを言うようですが、英語落語の海外公演は小さな世界平和活動の一つだと考えています。地道に続けていくことによって、少しずつ友好的な気持ちが子供たちの中に育まれていって、その子供たちが将来、親日派としてさまざなな分野で活躍してくれるかもしれない、と期待しています。

 私にとって英語落語は、多くの大事なことに気付かせてくれた活動です。一生懸命、落語の勉強をして日本文化への理解を深めることによって、どんどん世界との関わりが増えてくるという、英語落語の公演とは不思議な活動です。やはり異文化と関わるということ、異文化コミュニケーションの原点は自己を知るということなのでしょう。これまで20以上の国や地域で公演してきましたが、本当に多くの方に笑っていただき、喜んでいただいてきました。これからも地道に英語落語の海外公演を続けていくことで、日本と世界の友好関係を築く手助けになりたいと考えています。


◆プロフィール◆

大島 希巳江(おおしま・きみえ)        (1970年生)

 東京生まれ。コロラド州立ボルダー校卒業。国際基督教大学大学院教育学(社会言語学)博士。専門分野は社会言語学、異文化コミュニケーション、ユーモア学。現在は神奈川大学外国語学部国際文化交流学科教授。英語落語家。

 著書に『世界を笑わそ!-RAKUGO IN ENGLISH』『英語で小噺! イングリッシュ・パフォーマンス実践教本』(研究社)、『やってみよう! 教室で英語落語』(三省堂)『日本の笑いと世界のユーモア-異文化コミュニケーションの観点から』(世界思想社)など多数。

(『CANDANA』266号より)

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