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「明日への提言」

アメリカのポピュリズムとキリスト教
――反知性主義の源流と排外主義の危険性

山本 俊正(関西学院大学教授)

はじめに

 トランプ大統領の誕生を前後して、「ポピュリズムの危機」が叫ばれている。「米国第一主義」を掲げる大統領の登場で、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)、ネオナチ、人種差別を隠さない「アルトライト」が勢いづいている。ポピュリズムは「大衆迎合主義」と訳され、民主主義に敵対する概念とされることが多い。その理由は、副産物として、衆愚政治、排外主義、差別主義などを活性化させることが含まれるからだ。

 しかし一方でポピュリズムは、イギリスのEU離脱や最近のアメリカ及びフランス大統領選の投票行動に見られるように、既成政党やエリート支配に対する不満のはけ口、異議申し立て行動として民主主義と併走しながらその存在感を示している。アメリカのポピュリズムの背後には何があるのか。鍵概念となる反知性主義に注目し、その源流となったと言われる、キリスト教の歴史、特にアメリカのプロテスタント教会の歴史と発展の特色を概観し、アメリカで繰り返し表出する人種差別、排外主義の危険性を考察したい。

反知性主義とポピュリズム

 アメリカの「反知性主義」という用語は、哲学や倫理学から生まれた概念ではない。その発祥はアメリカの歴史家、リチャード・ホーフスタッターが書いた『アメリカの反知性主義』(1963年)に由来している。ホーフスタッターはアメリカ政治思想史の研究者でもあった。アメリカ社会の世論形成のメカニズムを調べる中で、世論操作を中心的に進める要因の中に「反知性主義」の伝統があることに気づき、『アメリカの反知性主義』の執筆に至った。ホーフスタッターは、アメリカの精神史の中に水脈のように流れている「反知性主義」の史実を実証的に様々な事例を取り上げ解明している。

 ホーフスタッターが執筆前に目撃したのは、1952年、マッカーシー旋風の吹き荒れるなかで行なわれた大統領選挙であった。選挙の結果、第34代大統領になったアイゼンハワーは、大統領になる前はノルマンディー上陸作戦を指揮した将軍として名を馳せたが、知的には凡庸であった。大統領選での対立候補はプリンストン大学卒業の知的エリート、スティーヴンソンであった。選挙戦は「知性」と「俗物」が対立する図式となった。多くの大衆は、アイゼンハワーの親しみやすさを好み、「アイ・ライク・アイク」を連呼し、アイゼンハワーが圧勝した。アメリカ社会に知識人を否認する伝統があること、またアメリカの知識人階級と大衆の間に大きなギャップが存在することが再確認された瞬間であった。

 「反知性主義」という表現は、アメリカ人が様々な分野における人物評価をする時に使う、尺度の形容詞の一つとなっている。勿論、「反知性主義」とは知性がないことでも、教養がないことでもない。後述するように、アメリカの「反知性主義」は、宗教的なルーツを持っている。「頭でっかち」な神学理論、知的な「説教」とは一線を画し、「頭」や「理屈」のみに依拠せず、「心」と「感情」に訴えかける「霊性」や「体験」を重視している。また、アメリカの「反知性主義」は衆愚政治やポピュリズムと親和性があるものの、かならずしも同義語ではない。

 大衆の「人気取り」を特色とするポピュリズムは、現代政治のあらゆる場面で顕在化している。例えば、トランプ大統領のみならず、日本では石原慎太郎元東京都知事や橋下徹元大阪府知事は「ポピュリズム」の体現者、ポピュリストとして知られている。しかし、彼らが反知性主義者とは限らない。多くのポピュリストは高学歴であり無知ではない。「ポピュリズム」は、民主主義の成熟した社会に登場した場合、その政策は分権化した権力機構によって制御され「独裁」政治に至ることはまれである。ポピュリストがソーシャルメディアをも内包した形で世論操作を試みても、既存のメディアからの反発、対立、反論によって、政策立案段階で頓挫することも多い。

 ポピュリズムが民主主義の浸透と成熟の中でも発症する病的現象の一つであるとするならば、反知性主義は民主主義に内在し病気に反転する、差別や偏見、排外主義の要因となりうる初期症状とも言える。勿論両者は、正負の両側面を持っている。ポピュリズムも反知性主義も民主主義が初期発展段階にある場合、例えば独裁的な政治支配にある国においては、人々の解放と変革に寄与し健全な民主主義への進展要因として機能することがある。ラテンアメリカにはこの事例が多い。

 次に、「反知性主義」の源流となったアメリカのキリスト教の歴史、特にプロテスタントのアメリカへの移植の経緯と特色を概観してみたい。

宗教改革からプロテスタントのアメリカへの移植

 今年は、宗教改革から500年になる。1517年、マルチン・ルターがヴィッテンベルクの「城の教会」の扉に「95カ条の論題」を掲げて始まった宗教改革(リフォメーション)はキリスト教世界に大きな地殻変動をもたらした。ルターの宗教改革から約10年後、英国では国王ヘンリー8世の離婚問題に端を発し、1534年に英国国教会が誕生する。英国での宗教改革と呼ばれている。スイスのジュネーヴではルターの影響を受けたカルヴァンが1541年に「神権政治」を開始する。ルターの宗教改革はカトリック教会の体制内改革の意図を越え、カトリック教会と教皇の権威を大きく揺さぶり、キリスト教世界を分裂に導く導火線の役割を果たした。

 この導火線は、やがてアメリカにも飛び火することとなる。英国国教会誕生後、メアリー1世、エリザベス1世は、英国国教会をカトリック教会に先祖返りさせる方針をとり、カトリック教会の復権を試みた。この試みに不満を持ち、そのために弾圧された人々が、ピューリタン(清教徒)と呼ばれた。彼らは信仰の自由を求めて、英国国教会から離脱し、政府からの迫害を避けて、アメリカへと移住する。メイフラワー号でアメリカへ渡った「ピルグリム・ファーザーズ」はよく知られている。アメリカが英国から独立する約100年前の出来事である。

 このように宗教改革の結果、ヨーロッパから新大陸アメリカへ、キリスト教は移植されることとなる。国家と結びつき、統治権力と直結した、ヨーロッパのキリスト教から、市民社会型のキリスト教へと発展するようになる。米国の宗教学者、ロバート・ベラーは、アメリカのキリスト教を「市民宗教」と呼んでいる。アメリカのキリスト教はその初めから、国家に保護されずに自前で信徒を獲得し、教団を組織化し、運営することが、運命づけられていた。教会のサバイバルのためにも、アメリカの教会は、自由市場における企業の自由競争と同様の原理で、その始めから自前で伝道し教会員を増やしていくことが宿命づけられていた。アメリカに移植されたキリスト教は、大衆に迎合しその土地や文化に即した独自の現象形態を生み出すことを余儀なくされていた。

ピューリタンの知性主義と反知性主義としての「信仰復興運動」(リバイバル)

 アメリカの反知性主義は、最初に移植されたピューリタンの厳格な知性主義に対する反動として登場する「信仰復興運動」(リバイバル)に、その源流を求めることができる。ピューリタニズムの特色は、「説教」を重視することであった。中世以来のカトリック教会が典礼(儀式)中心であったこととは対照的である。ルターの宗教改革が、ラテン語聖書のドイツ語翻訳や、後のカルヴァンによるフランス語訳が生まれたにように、聖書を自らの生活言語で理解することを可能にした。

 ピューリタンの牧師たちは、聖書の解釈とそれを読み解く高い能力が要求された。ピューリタンの知性主義を象徴するのが大学の設置であった。ハーバード、イェール、プリンストン大学はピューリタンによって設立され、信仰の後継者を養成するための神学部が設置されている。この高度に知性的なピューリタン社会への宗教的反発現象が、「信仰復興運動」(リバイバル)であった。

 リバイバルは、伝道者が時としてジョークやギャグを交えて、大衆を魅了し、分かりやすい聖書の解釈と熱狂的な伝道活動をその特色とした。アメリカに移植されたバプテスト教会やメソジスト教会などのプロテスタント教会が飛躍的に拡大したのは、18世紀及び19世紀のリバイバルの大波に依拠し、その対象はアメリカの下層階級であった。アメリカの反知性主義は、人々が魂の「救い」を求めてリバイバルの集会において霊的な再生を経験したように、エリート支配の格差の中で底辺に置かれた大衆が、蓄積された不満から「救い」を求め、新たなリーダーを希求する感情から養分を得て成長した。

排外主義の危険性

 これまで見て来たように、アメリカのポピュリズムは、キリスト教の信仰復興運動を源流とする反知性主義と深く連携しながら、現在に至っている。周知の通り、トランプ大統領は就任直後から、すべての国の難民受け入れを120日間凍結し、シリア難民受け入れは無期限停止にすることを表明している。トランプ大統領により発動された「入国禁止令」に加えて、「オバマケア(医療保険制度改革)」の見直し、メキシコ国境での「壁」の建設に向けた大統領令の署名など、排外主義的政策を打ち出している。

 スコットランドの作家、戯曲家であるジョン・ホッジは、「差別とは、ある特定の社会的集団が、他の人間集団を何らかの人工的な区分をもとにして、統制しようとする『信念』と『行動』 のことである」と定義している。人間は当然のことながら、いずれも均質ではない。人種、性、民族、身分、出自(家柄)、国籍、宗教などの人工的な区分けにより、各々が他にはない特性を持っている。この原理は、移民国家として成立したアメリカにとっては自明の理である。人間の集団間に差異があることだけから差別や排外主義は生まれない。しかし人間の諸集団が一様ではなく、多様であるという差異の認識は、それらの間に「優れた」集団と「劣った」集団があるという、価値区分を生み出すことがある。集団の優劣の判断は非常に恣意的で、この価値区分は「偏見」と呼ばれる。通常、社会を統制している多数者のイデオロギーや価値観が「優」とされ、それ以外の周縁的少数者や下位の集団が「劣」とされる。このような「偏見」が、個人の心の内部に留まる程度ならば、深刻な抑圧は生まれない。しかしある「優秀」な集団が、「劣等」な集団を規制することが意図され、社会システムへまとめ上げられる時、それは差別や排外主義として暴力的な姿を現す。

 人間は長い歴史の中で、文明社会を築き上げて来た。1948年に「世界人権宣言」が出され、全ての人の人権は等しく尊重されねばならないことが宣言され、差別の克服などが本格的に取り組まれるようになった。排外主義はこれまで積み上げてきた努力を破壊し、人間を未開の世界に引き戻すことを正当化する。世界の政治に大きな影響を与えている「トランプ現象」はポピュリズムの氷山の一角に過ぎない。アメリカのポピュリズムの背後にあり、様々な宗教に内在している反知性主義の負の側面を注視していく必要がある。ポピュリズムの全てがそうではないが、排外主義の温床になる側面を持っていることを肝に銘じたい。

参考文献

  • R・ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』(みすず書房 2003年)
  • 森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」 の正体』(新潮社 2015年)
  • 西谷 修『アメリカ異形の制度空間』(講談社 2016年)
  • 森本あんり「ドナルド・トランプの神学―プロテスタント倫理から富の福音へ」(『世界』2017年1月号)
  • 西山隆行『移民大国アメリカ』(筑摩書房 2016年)
  • 水島治郎『ポピュリズムとは何か―民主主義の敵か、 改革の希望か』(中央公論新社 2016年)

◆プロフィール◆

山本 俊正(やまもと としまさ)        (1952年生)

  東京都生まれ。立教大学法学部卒業。関西学院大学商学部教授及び宗教 主事。日本基督教団ロゴス教会主任牧師等を務める。東京 YMCA 主事を 経て、米国カリフォルニア州バークレー太平洋神学校に留学(神学修士)。 ハワイ州ハリス合同メゾジスト教会の副牧師、日本キリスト教協議会NCC)総幹事を歴任。著書に『アジア・エキュメニカル運動史』(新教出 版社)、編著に『東アジアの平和と和解―キリスト教・NGO・市民社会の 役割』(関西学院大学出版会)、監修に『東アジア平和共同体の構築と宗教 の役割―「IPCR 国際セミナー2011」からの提言』『東北アジア平和共同体 構築のための倫理的課題と実践方法―「IPCR 国際セミナー2012」からの 提言』(佼成出版社)ほか訳書や論文が多数ある。

(『CANDANA』271号より)

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