• HOME
  • 「明日への提言」

「明日への提言」

今、先賢の言霊ことだまおも

小泉 吉永(立正大学社会福祉学部、人間総合科学大学人間科学部非常勤講師)

 

 本誌268号(2016年12月)で、私は江戸時代の「あやまり役」を紹介し、その最後を「「世話焼き」や「お節介」が絶滅する前に、自己責任社会を脱却し、人づくり社会への転換を図る必要があるだろう」と結んだ。だが、あれから4年余を経た現在、日本社会はますます自己責任論に傾斜しているように見える。

 さて、東京五輪まであと7カ月と沸き立っていた2019年の暮れ、ある占い師が「2020年の前半は、はっきり言って日本にとって試練のときとなりそうです。前半の早い時期に大きな出来事があり、激動の時代が始まります」「社会の仕組みが見直され、価値観が大きく変化していきます…」と発信した(telling,ホームページ)。

 その予想は見事に的中し、全世界が激変の渦に巻き込まれた。そして、2021年3月1日現在、日本での新型コロナウイルス感染者43万2000人、死亡者7889人。全世界の感染者1億1400万人、死亡者253万人。未曾有のパンデミック(世界的大流行)のなか、日本でもワクチン接種が見切り発車的に始まった。

 コロナ対応において、日本は先進諸国の中で極めて有利な状況だったが、東京五輪やその他の利権が絡んで科学的・組織的な対応ができず、今も混迷が続いている。政府や官僚のていたらくを言い出したらキリがないが、日本社会の問題点が次々噴出する今日、政財界や官僚はもとより、国民一人一人が生き方や考え方を改め、政治や行政を変えていくためのアクションを起こさないと、日本は取り返しのつかない事態に陥るであろう。

●先人の知恵に学ぶ

 このような難局や人生の岐路に立った時、思考や判断の指針となるのが先人の教えだ。迷いや不安が生じたら、例えば貝原かいばら益軒えきけん、あるいは佐藤さとう一斎いっさいに教えを請うがよい。

 危機的状況での対処について、益軒は「不意の禍に遭遇して、どうして良いか分からなくても、心を苦しめて、楽しみを失ってはならない。静かに思案すれば、その禍を逃れる工夫も出てくることがある。行き詰まって、苛立ってはいけない。心を広くして十分に深く考えるがよい」〔大和俗訓4巻〕と助言する。同様に、一斎も「極めて困難な事に遭遇したら、焦って解決しようとしてはならない。しばらくそのままにし、一晩、枕元でその半分位を考えながら寝て、翌朝、すっきりした気持ちでその続きを考えれば、必ず、一条の解決の糸口が見えてくる。…それから、難問を一つ一つ処理していけば、たいていは間違いを起こさない」〔言志げんし後録こうろく45条〕と、冷静沈着や熟慮による問題解決を諭す。

 さらに、一斎は、「政治が、一事の是非を見て、全体の是非を問わない時、そして、一時の利害にこだわり、永久の利害を考えない時、まさに国は危険な状況にある」〔言志録げんしろく180条〕と、現代日本を象徴する「三だけ主義(今だけ、金だけ、自分だけ)」を見透かした一言も残している。

 ただし、困難や逆境は必ずしも悪いことばかりではない。例えば、益軒は逆境の意義をこう指摘する。

    順境は自分の思い通りになる環境であり、逆境は思うようにならない環境である。順境に処するのはたやすく、逆境に処することは難しい。だから、逆境の時は、畏敬の念が起こり、身の過ちが少なく、かえって福となる。逆に、順境の時は、驕慢や怠慢の心が生じて身の過ちが多く、身の禍となる。…憂いと畏れがあれば、生命を保つ。安楽で放逸なら、死をまぬがれ難い。敵のある国が長く続き、敵のない国がかえって亡びやすいようなものだ。〔大和やまと俗訓ぞくくん7巻〕

 同様に一斎も、困難と向き合う大切さを説く。

    すべて、人が出遭う所の、憂い悩み、変わったでき事、恥を受けること、そしられること、心に逆らって思い通りにならないこと、これらは皆、天の神が自分の才能を老熟大成させようとするものであるから、いずれも自己の学徳をとぎ磨く素地でないものはない。故に、道に志す人は、かかる境遇に出遇ったならば、いかに処置すべきかをよく考えるべきであって、いたずらにこれから逃避しようとすることはよくないことである。〔言志録59条〕

 また、より合わせた縄のように禍福が表裏一体であることを意味する「禍福糾纆きゅうぼく」という言葉もある。「楽は苦の種、苦は楽の種」とも、「塞翁さいおうが馬」ともいう。益軒は、「わざわいの所に福がよりそい、福の所に禍が伏し隠れている」という『老子』の言葉を引いて「これは吉凶禍福が互いに思わぬところに生ずる道理を述べたものである。それで、禍がふりかかっても悲しむことはいらないし、また福が来たからといって喜んではいられない。禍福は塞翁が馬と同じで、定め難く頼みにならないものである」〔慎思録しんしろく66条〕と述べている。

 ただし、一斎は「世の中の災いは為政者の責任」と受け止めよと説いている。

    すべて禍というものは、上から起こるものである。下から出た禍であっても、また必ず上に立つ者が、そうさせる所があるものである。いん湯王とうおうこう(王命)に「なんじら四方の国々の人民が罪あって法を犯すのは、上に立つ自分の責任である」とある。誠に至言である。人主たる者は、この湯王の言を手本とすべきである。〔言志録102条〕

 話は変わって、2020年4月7日、緊急事態宣言の記者会見で、「これまでの(コロナ)対策は一か八かの賭けのように見えるが、もし失敗だったら、どのように責任をとるのか」という外国人記者の質問に対し、安倍首相は「例えば最悪の事態になった時、私が責任を取ればいいというものではありません」と答えた。この言葉には耳を疑うばかりで、2017年10月の衆院選で「この国を、守り抜く」と豪語したのは何だったのか。政治や行政こそ、緊急事態ではないのか。

●為政者=武士の役割とは

 さて、江戸時代の為政者はどのように認識されていただろうか。以下、封建制度下の為政者に関する記述が続くが、家庭では親の、学校では教師の、会社では経営幹部の心得に置き換えて考えてみてほしい。

 まず、会津藩士の伊南いなみ芳通よしみちが貞享3年に著した『武小学ぶしょうがく』である。本書は武家用の教訓書・育児書で、要するに、平和な社会と民生の安定こそが武士の存在理由とする「止戈しかほことどめる)」説に基づき、徹底した修己しゅうこと武人教育を説いた書である。

 例えば、「武は儀刑(模範)によって天下を治めること」や、①武力行使を禁じ、②武器をしまい、③大国を保全し、④君主の功業を固め、⑤人民の生活を安定させ、⑥大衆を仲良くさせ、⑦経済を繁栄させるという「武の七徳」など縷々るる説くが、その肝要は「武を家業とする者は、まず何より己を修めよ。そのうえで君に仕え、徳行が家に伝わり、天下の法となる。これにより、世が治まり、民もゆたかとなる。世が治まり、民が泰かとなって初めて、武として賞賛される」ということに尽きる。平和な世の中と民の豊かな生活が実現できなければ、為政者の資格はないとの戒めである。

 一方、庶民子弟も往来物おうらいもの(読み書き教科書)を通じて武士の基本的な役割を学んでいた。例えば、享保5年刊『諸職往来』は「く仁義礼智信の五常を守って、文武を以て国を治め、忠孝を以て家をととのえ、系図を以て先祖をあらわし、感状を以て功名をつとう」とし、享保14年刊『四民往来』は「士は志なり。四民の上に位して節・義の二つを平生志とするを士という。かるがゆえに、武士たる者は学文がくもんをして、節義をよく弁え、手跡をはげみて、日本の凡俗ならわしの文章につたなからぬように心がけ、武芸を熟するが士の全体なり」と述べる。また、天保14年刊『今川絵抄』は「士という文字は裏表なし。武士も此の字のごとく、心に裏表なく、君に仕えて忠義を尽くすべし」と言い、天保15年刊『商家用文章』は「武の字、戈にならい、止に从う。戈を止むるは、武をなすの義なり」と止戈説に触れる。

 以上を総合すれば、為政者としての武士は、文武両道に徹し、忠孝・五倫や節義を守って家をおさめ、民の模範となって天下を治める存在ということになる。

 次に、成人一般の教訓書にも為政者の心得が種々見られるが、一例として、益軒の『慎思録しんしろく』から引いておく。

○政治の要は、一に「養」、二に「教」

 政治の要件は、人民の「善導教化」と「育成(生活の安定)」の二つが不可欠だが、このうち、人民の「育成(養)」こそが先決で、そのうえで人民の「善導教化(教)」に移るべきである。すなわち政治の要道は、人民の生活の安定が先務であり、善導教化はその後になる。〔慎思録64条〕

○ 過去(歴史・文化)と現在(世相)に精通せよ

 経世済民(国政を行い人民を治める)の重責を担う政治家は、人民には慈悲をかけ、君には誠を尽くし、よく人民の実情を知って生活を安定させることが根本的な任務である。そして、古今の歴史に通じていなくてはならない。博く昔の事情(歴史・文化)に精通していなければ、聖賢の教えを聞いても、それがいかなる事変に適用されたのかを明らかにすることができない。また、今の世相に精通していなければ、当今の政情を見抜いて人民が安堵しているか否かを知ることができない。…それゆえ、為政者は、昔の書籍に親しむことと、当面の政務に熟達することの二つが肝要で、いずれもおろそかにできない。〔慎思録147条〕

●難局を切り抜ける心構え

 ところで、有事における為政者の心構えは、勝海舟晩年の語録『氷川ひかわ清話せいわ』に学ぶべき点が多い。

 海舟は、政治も外交も、その極意は「正心誠意(誠心正意)」の4字のみとし〔氷川清話165・198頁〕、「政治をするには、学問や知識は、二番めで、至誠奉公の精神が、一番肝腎だ」〔同233頁〕と言い、本書の末尾を「要するに、処世の秘訣は誠の一字だ」〔同380頁〕と締めくくる。そして、難局や有事に際しては、とりわけ「明鏡止水(邪念がなく、静かに澄んだ心境)」の心が大切なことを繰り返し述べるが、以下はその一例である。

    心は明鏡止水のごとし、といふ事は、若い時に習つた剣術の極意だが、外交にもこの極意を応用して、少しも誤らなかつた。かういふ風に応接して、かういふ風に切り扱けうなど、あらかじめ見込を立てゝおくのが、世間の風だけれども、これが一番わるいヨ。おれなどは、なんにも考へたりもくたりすることはせぬ。たゞたゞいつさいの思慮を捨てゝしまつて、妄想や雑念が、霊智を曇らすことのないやうにしておくばかりだ。すなはちいはゆる のやうに、心をぎ澄ましておくばかりだ。かうしておくと、機に臨み、変に応じて事に処する方策の浮び出ること、あたかも影の形に従ひ、響の声に応ずるがごとくなるものだ。…〔同197頁〕

 これに関して、鎌田柳泓りゅうおうは文政2年刊『道のこだま』中巻で、「智の意味如何いかん」という問いにこう答えている。

    答、一切の妄念・分別・取捨・愛憎・善悪・是非等の心尽きざれば本智現前せざる事、あか尽きざれば鏡明らかならず、雲消へざれば月光あらはれざるがごとし。

 続けて、柳泓は、人間が生まれながらに持っている本源的な知恵を取り戻すには、まず私心を去り、次に幼少時より見聞きした一切の「成心(先入観)」を捨てよと説く。「明鏡の無心」や「明月の無念」のように本智から発する念こそが「人をすくひ、物をなす」のであり、これが仁である。そして、本智に返れば自ずと大慈大悲の心が生じ、一切衆生を済度して少しも漏らすことはない。ところが、凡夫ぼんぷは本智に至ることを知らず、私智に私智を重ねて、ますます道から遠ざかる…。まさに今、「私智」の蟻地獄でジタバタしているのが、政府の現状ではないのか。

 余談だが、本稿執筆中、「生年百に満たず。常に千歳の憂いをいだく」〔文選もんぜん巻29〕という海舟の一軸を入手した。海舟は「一個人の百年は、ちやうど国家の一年くらゐに当るものだ」〔同229頁〕と述べているから、自らの寿命に比べれば遙かに遠い未来の先の先までこの国を憂えていたに違いない。床の間に飾って日々仰ぎ、晩年の海舟が抱いた後顧の憂いに思いを馳せつつ、この言葉を反芻はんすうしている。

 海舟は、「万般の責任を一人で引き受けて、非常な艱難かんなんにも耐え忍び、そして綽々しゃくしゃくとして余裕があるということは、大人物でなくてはできない」〔同265頁〕と述べたうえで、「この五百年が間の歴史上に、逆境に処して、平気で始末をつけるだけの腕のあるものを求めても、おれの気に入るものは、一人もない」〔同352頁〕と断言した。恐らく、西郷隆盛の如き大人物を期待したのであろう。

 しかし、それは稀有なことであり、せめて、こんな日本人が出てきて欲しいと願って書かれた一節〔同354頁〕を掲げて擱筆かくひつする。

    おれの見たところでは、今の書生ばらは、たゞ一科の学問を修めて、多少智慧ちえがつけは、それで満足してしまつて、更に進んで世間の風霜ふうそうに打たれ、人生の酸味をめうといふほどの勇気をもつて居るものは、少いやうだ。こんな人間では、とても十年後の難局に当つて、さばきを付けるだけのことは出来まい。おれはこんな事を思ふと心配でならないヨ。
    天下は、大活物かつぶつだ。区々くくたる没学問や、小智識では、とても治めて行くことは出来ない。世間の風霜に打たれ、人生の酸味をめ、世態の妙を穿うがち、人情の微を究めて、しかる後、共に経世の要務を談ずることが出来るのだ。小学問や、小智識を鼻に掛けるやうな天狗先生は、仕方がない。それゆゑに、後進の書生らは、机上の学問ばかりにらず、更に人間万事にいて学ぶ、その中に存する一種のいふべからざる妙味をみしめて、しかる後に、机上の学問を活用する方法を考へ、また一方には、心胆を練つて、確乎かっこ不抜ふばつの大節を立てるやうに心掛けるがよい。かくしてこそ、初めて十年の難局に処して、誤らないだけの人物となれるのだ。


【主要引用文献】

  • 久須本文雄訳『座右版 言志四録』(平成6年、講談社)。
  • 久須本文雄著『「江戸学」のすすめ―貝原益軒の『慎思録』を読む』(平成4年、佼成出版社、抄訳)。
  • 松田道雄編『貝原益軒(日本の名著14)』(昭和44年、中央公論社)。
  • 江藤淳・松浦玲編『氷川清話』(平成12年、講談社学術文庫)。

◆プロフィール◆

小泉 吉永(こいずみ よしなが) (1959年生)

 立正大学社会福祉学部非常勤講師、人間総合科学大学人間科学部非常勤講師、学術博士(金沢大学)、往来物研究家。東京都出身。82年早稲田大学政治経済学部卒業後、学校教員や出版社編集者を経て現職。

 江戸時代の研究は、1977年に神田神保町の古書店で1冊の往来物(寺子屋の教科書)との出会いから。以来、往来物など近世庶民史料の蒐集と研究を始め、数多くの近世史料の著作や出版に携わる。

 現在、古典籍1万点のデジタル化と関連のネットビジネスを主要業務として展開、ホームページ「往来物倶楽部」やフェイスブックで関連情報を発信。江戸時代の教育や庶民文化に関する講演・執筆や展示企画の傍ら、各種メディアにも出演。2016年より江戸時代に関する各種講座「江戸樂舎」を開講するほか、広島県三次市立図書館主催のネット講座「おとなの寺子屋」の講師を務める。

 著作は、『女筆手本解題』『 往来物解題辞典』『 「江戸の子育て」読本』『庄屋心得書・親子茶呑咄』『江戸に学ぶ人育て人づくり』『心教を以て尚と為す-江戸に学ぶ「人間教育」の知恵-』など。

(『CANDANA』285号より)

掲載日

ページTOPへ

COPYRIGHT © Chuo Academic Research Institute ALL RIGHTS RESERVED.