• HOME
  • 「明日への提言」

「明日への提言」

グリーン・ブッディズムへの転換に向けて

柳 吉龍(智慧共有協同組合理事長)

東西冷戦終結後の未来

過去四半世紀に世界で起きた最も大きな事件を挙げるとするならば、1989年をピークとする東欧革命であり、90年の西ドイツの東ドイツ統合、91年のソビエト連邦(ソ連)の崩壊ということになろう。

ソ連の消滅後、東西冷戦の終結を指して、資本主義の勝利を宣言する者もあった。だが、宇宙船地球号の乗員にとって、その言葉は虚しく響くだけである。私見では、資本主義体制は言うまでもなく、社会主義体制も、所詮、地球資源を無尽蔵としてみる生産力主義、物質中心主義の歴史発展観の内側にあったのであり、両陣営とも地球環境の悪化に加担してきたことは否定できない。現に冷戦終結後、世界経済は大量生産・大量消費・大量廃棄の資本主義・市場主義経済一辺倒のグローバル化が推し進められ、経済発展と地球環境との間の矛盾や相克の度合いは目を見張って拡大する一方である。

生産力主義のこのような持続不可能な世界を人類は今まさに変革しなければならない。

一方、今なお、冷戦の影響は周辺のアジア諸国にも色濃く影を落とし、朝鮮半島はヤルタ会談によって北緯38度線を境に南北に分断され、その対立が続いている。

昨年(2013年)、朝鮮半島は停戦協定を結んで60年を迎えた。停戦協定は、戦争をしばらく中断するということであるだけに、まだ、戦争は完全に終わっていないという意味が含まれる。そこで多くの平和運動家たちは、この停戦協定を平和協定に転換し、平和体制を創出しなければならないと主張してきた。

朝鮮半島の南北の分断の熾火は、両国に軍事費支出の根拠を与えるだけではなく、経済発展を遂げた中国のG2論を背景とした軍事費の増強や日本の平和憲法9条の見直し・改憲の潮流ともなってアジアをより不穏当にさせている。したがって、朝鮮半島の分断の克服と統一は、単に韓国と北朝鮮の問題にとどまらず、アジアの平和実現に向けての課題でもある。

しかし、それだけでよいのであろうか。朝鮮半島の統一という巨大な政治的変化に、文明的転換のプログラムを組み込むことはできないのであろうか。今、私は「グリーン」的なビジョンを基に統一の未来を構想している。その核となるのが、成長社会の価値観の転換として成熟社会を志向する「グリーン」的ビジョンであり、これを宗教にも適用することであると考える。そこで本稿では、「グリーン・ブッディズム」について論じることにしたい。

グリーン・ブッディズムとは

今日、地球環境を危機的状況に陥れた産業社会の価値の根本は、物質中心の繁栄と資本の蓄積にある。仏教徒ですら、この世俗の論理に抱き込まれ、本来の仏の教えからは逸脱したものとなっていると言わざるを得ない。すなわち、〈縁起論としての仏教〉というより〈現世利益としての仏教〉が強調されてきたのである。その願望の形式は、「わたしは仏さまを信じます。ですから、どうか恵みが与えられますように」といった祈願であり、その恵みとは、健康や商売繁盛、生活苦からの離脱ということになろう。

私はその思いを理解しつつも、同時に今日の地球的危機と向き合える仏教でなければならないと考える。私は自身が仏教徒であることを反省し、ここに「グリーン・ブッディズム」を提唱する。

これは何も特別な新規の仏教をいうのではない。仏の縁起の法に従う仏教本来の姿を回復することである。「此(これ)あれば彼(かれ)あり、此(これ)生ずるがゆえに彼(かれ)生ず、此なければ彼なし、此滅(めっ)するがゆえに彼滅す」という縁起観の基本形の意味するところは、畢竟、一切の現象は相互依存の上に成り立つもので、その関係性を離れては何ものも存在しないという存在のありのままの姿である。

グリーン・ブッディズムは、このような世界観に立ち、この地球上に共に暮らし、共に幸せになる道を探して実践する仏教をいうのである。自身の境遇に対する怒りと批判で世の中を恨むのではなく、自ら内省し、懺悔する。誰もがお互いを生かす解決の主体として生活を送ることを仏教徒は求められている。多様な個性が集まり、調和と均衡を保ち、猜疑と嫉妬を乗り越えた愛と、対立と競争を乗り越えた和合と、闘争と戦争を乗り越えた平和とを成し遂げるべく新しい文明を創造する仏教をグリーン・ブッディズムとして呼び覚ますことが今日、必須のこととして叫ばれなければならない。

釈尊はそのご生涯を三衣一鉢で托鉢を原則として過ごされた。仏教徒はその生き方を見習い、少欲知足の生活を送るべきであろう。むやみに殺生をせず、衆生の痛みを我が痛みと感じ、諸仏諸菩薩の心を我が心として一切衆生を救済するという大きな志を持ち、余計なものは所有せず、「我」を捨て「意地」を捨て、ただ生命(いのち)そのものの衆生の要求に従う菩薩としての生活を送ることである。このような個々人の日々の生活の価値観のなかで、人類が被った危機の克服を考え、平和な社会と持続可能な美しい地球環境に寄与する教えがグリーン・ブッディズムなのである。

グリーン・ブッディズムの活動事例

以下、韓国の環境運動におけるグリーン・ブッディズムの実践的な事例を簡単に紹介しておこう。

 事例(1):セマングム干拓地の生命を守るための「三歩一拝」と四大河川を守るための「五体投地」

2003年、韓国最大の干拓事業に対する反対運動が起こった。群山(グンサン)と扶安(プアン)とをつなぐ34kmの防潮堤を築造し、干潟を埋める合計42,000ha の干拓地を作るというものであった。干潟の多様な生態系を残すために、同年3月28日から65日間、セマングム地域からソウル市までの320kmを僧侶のスギョン氏とカトリック神父のムン・キュヒョン氏、円仏教のキム・ギョンイル氏、キリスト教牧師イ・ヒウン氏等が‘三歩歩いて一回礼拝する’という「三歩一拝」の苦行を始めた。

この「三歩一拝」の運動は、人や政府を恨むだけでなく、自らがその責任者で当事者であり、解決の主体であるという意識を人びとに植えつけ、韓国社会に大きな影響を与えた。

仏教界の提案で始まったこの修行は“生命を殺すこのような行為には、自分自身にも責任があることを悟り、自ら懺悔し、自らの貪・瞋・癡の三毒を振り返る”というものであった。

また、同メンバーにより09年3月28日から6月6日の期間、環境保護の立場から四大河川開発に反対する運動が「五体投地」によって行なわれた。これは1日に約4km ずつ進む総距離400km余に及ぶ苦行であり、韓国国民に対し生命と自然に対する新たな覚醒を促すものとなった。

 事例(2):浄土会の「ゴミゼロ」の生き方と「残飯ゼロ」キャンペーン

浄土会の会員は、毎朝5時には起床し、108回の祈りと瞑想などの修行を実践している。また、生活の中の修行として生活ゴミを無くすゴミゼロ運動を実践している。会員は、毎日のゴミを分類し、量を測りながらゴミの観察と実験を繰り返し、再使用に耐えるもの、リサイクル資源に回すものなどを細かく分け、ゴミの発生量の軽減に努めてきた。この実践を通じてゴミ量を5分の1にまで減少させた。

そして、05年から始まった行政の残飯関連法案の施行を契機に、国民的な呼びかけの運動として「残飯ゼロ運動(Clean Dish Movement)」を展開した。これは、仏教でいう托鉢の考えをヒントに始まった、食べ残しをしないというキャンペーンである。署名キャンペーンでは、署名の際、上記の固い誓いを呼び起こすための1千ウォン(日本円で100円)を寄付する形をとり、その寄付金を環境問題解決に充てた。この運動は全国的に160万人が参加した、韓国内では歴史的に最も成功した国民キャンペーンとして評価されている。

 事例(3):千聖(チョンソン)山のトリョンニョン(山椒魚)を守るチ・ユル僧侶

韓国釜山の千聖山に高速鉄道貫通トンネルを建設しようとする政府に対抗して、千聖山・内院寺の山監であるチ・ユル僧侶は、「三歩一拝」による国土巡礼、断食修行の他、1日3千回の礼拝行を行なった。結局、運動の後半、長期の断食による訴えを通して、政府から環境影響評価を再検討するという約束を取りつけた。

特にチ・ユル僧侶が行なった千聖山のトリョンニョン(山椒魚)訴訟は、高速鉄道貫通道路によって破壊されて消えていく千聖山の数多くの生命を代表して‘サンショウオ’が原告として勝訴した特異な法廷訴訟事件であった。トリョンニョンをはじめとする生命を生かすために涙ぐましい保護運動をしてきたチ・ユル僧侶の精神は、この後、環境保護運動に大きな影響を与えた。

南北統一の未来とグリーン・ブッディズム

近代社会が志向する豊かさの尺度は、進歩や発展・成長を指し、結局、生産物の生産能力から推し量る。このような生産力中心の価値観は、GDP(国内総生産)、GNP(国民総生産)という指標によって先進国と後進国とに分け、国家に序列をつける基準となった。このような価値観は個人にも等しく適用されている。

グリーン・ブッディズムが目指すグリーン的社会は、成長のない発展、つまりは、成熟の社会を志向する。したがって、グリーン・ブッディズムは機械論的自然観による消費主義、物質中心の成長主義、直線的な時間観の埃にまみれた「仏教」の垢を洗い流すことでもある。それは、少欲知足の自発的清貧を追求することになろう。「スモール イズ ビューティフル」、「スロー イズ ビューティフル」、また、分けあって生きる人生を説く「シェア・ライフ イズ ビューティフル」という価値観を共有することになろうと考えている。

グリーン・ブッディズムは貧しい国の人々とも、未来世代の人々とも、そして人間以外の生命に対しても深い縁起的思考をすることである。自然や資源を分かち合おうとする生活を送ることである。国籍という境界に埋没しないで全地球的な課題に参加することである。

先日、韓国のパク・クネ大統領が「(南北)統一は大当たり(デバック*原意は大船)」だという言葉を使って、大きな議論をまき起こした。「大当たり」という言葉は‘少ない努力で途方もない利益を得る’という韓国での投機用語である。パク・クネ大統領は、その後、ドイツのドレスデンで「三大統一構想」を発表した。

それは、①人道的支援、②民生のインフラ構築、③南北間同質性回復を掲げ、何れの協力も北朝鮮の核開発の放棄を前提とすると話した。しかし相手に配慮しない一方的な提案は、逆に北朝鮮の反感だけを買ってしまった。

成長主義による近代化を中心にした統一構想は、結局、自国の利益中心の政治を生むだけであろう。正しい統一の未来構想には、新たな文明転換プログラムが組み込まれていなければならないのである。人の場合と同様、一国家だけの発展ではなく、国家を超えた共存のためにグリーン・ブッディズムのグリーンなる平和の視点で見た南北の統一は、広くアジアの平和を見据えたものとならなければならないであろうと考える。

 (日本語訳:李 史好)


◆プロフィール◆

柳 吉龍(Ryoo Gil-Yong)       (1962年生)

韓国ソウル生まれ。1992年、国民大学造形大・建築学科卒。1988-2003年、浄土會 EcoBuddha 事務局長、2005年、浄土會・平和財団企画室長、2006年-2008年、韓国大統領諮問・持続可能発展委員会・専門委員、2008年-2010年、EcoBuddha 共同代表。現在、智慧共有協同組合・理事長、全国帰農運動本部・理事。

共著:『생명에 대한 예의(生命に対する礼儀)』(環境と生命、2002)、『불교의 지혜와 환경(仏教の智慧と環境)』(大韓仏教曹渓宗・環境委員会、2008)、『한국 전통문화속의 환경지혜와 녹색발전(韓国伝統文化のなかの環境知恵と緑の発展)』(ソウル大学出版部、2010)など。

(CHANDANA258号より)

掲載日

ページTOPへ

COPYRIGHT © Chuo Academic Research Institute ALL RIGHTS RESERVED.