• HOME
  • 「明日への提言」

「明日への提言」

「あやまり役」に学ぶ人づくりの知恵

小泉 吉永(法政大学講師)

 私が江戸時代の研究を始めたきっかけは、今から30年前、神保町古書店街での1冊の和本との出会いであった。以来、神保町に入り浸ってきた。

 数年前のある日、恩師(江森一郎金沢大学名誉教授)と馴染みの古書店を訪れた。数十万、数百万円もの貴重書が並ぶ店内のソファーで和本を点検していると、30代半ばの女性教師が女子児童6、7人を引率して店内に入ってきた。どうやら付近の私立小学校の校外学習のようだった。

 教師が説明を始めて間もなく、一つの「事件」が起きた。児童の1人が、不注意で貴重書をパタンと倒してしまったのだ。すかさず店員が「気を付けてくださいね!」と言う。教師は店員に一言謝るや否や、「いいですか、皆さん。このお店には貴重な本が沢山置いてあります。教室で話したように、十分注意してください…」と、まるで自己弁護のような説教を始めたのである。

 視線こそ向けなかったが、手にした和本よりも教師の言葉が気になり、「女の子たちは先生の話をどう受け止めたのだろう」と考えているうちに、江戸時代の「あやまり役」を思い出した。

●人を育てた「あやまり役」

 「あやまり役」は、江森一郎氏の『体罰の社会史』(1989年)や「寺子屋の『あやまり役』」(別冊宝島126『江戸の真実』、1991年)で広く知られ注目されるようになった日本独特の慣行で、例えば『体罰の社会史』にはこう紹介されている。

 寺子屋で師匠から罰を受けた場合、師匠の妻、寺子屋の近所の老人(泣き声など聞きつけてやってくるという)、子どもの家の近くの人、親自身、子どもの友達が、本人に代わって、、、、、、、謝ることによってようやく許されるという謝罪法が一般化していたことは、非常に面白いことではなかろうか。明治20年代ともなると、この風習はすでに奇異なものと感じられるようになったらしく、前掲の『維新前東京市私立小学校教育法及維持法取調書』(明治25年*筆者注)には「奇談」として次のように書かれている。

ここ奇談、、トスベキハ当番ノ生徒中、あらかじメ請宥役(アヤマリ役、、、、、ト称ス)ナルモノヲ托シ置キ、けんせきフ者アル毎ニ、此者ヨリ其罪ヲゆるメンコトヲ請ハシムルヲ以テ師ハ後来ヲ戒メしかるのち之ヲ宥ス。其状演劇ヲ見ルガ如シト。

 この『取調書』の記述から「あやまり役」に関心を持った江森氏は、同様の謝罪法が各地の寺子屋に見られることに着眼し、『日本庶民教育史』(乙竹岩造著、1929年)、『長野県教育史』(1972~83年)、『千葉県教育史』(1936~41年)、『玉松堂日記』(埼玉県教育史別冊資料、1968年)から30事例を採集し、次のように類型化した(「寺子屋の『あやまり役』」)。

① 寺子仲間(先輩・同輩)が「あやまり役」の場合(東京・群馬・長野・山口)
② 師匠の妻が「あやまり役」の場合(東京・長野)
③ 親が「あやまり役」の場合(秋田・長野・広島・愛媛)
④ 年寄りや付近の人が「あやまり役」の場合(千葉・長野・大阪・岡山・鳥取)
⑤ 以上の複数が並行して行われた場合(栃木・埼玉・千葉・山梨・滋賀・和歌山)

 なお、30事例中「あやまり役」の呼称が見えるのは東京・千葉の各1例で、他の呼称として老人の「止め役」(千葉)、寺子年長者の「世話焼きどん」(長野)などがあり、第三者が謝罪して子供を引き取る行為を「貰い下げ」(山梨)と称した地域もあった。

 以上を検討した江森氏は、①「あやまり役」がほぼ全国の寺子屋に普遍的に見られること、②子供の懲罰に第三者の介入を重視したこと、③近所の老人による「あやまり役」がその原型と考えられることを指摘し、さらに日本では「紛争・裁判の解決法として『内済(和解)』が幕府によっても奨励され、その場合『第三者の介入』によることが中世以来慣行となっていた」ことが「あやまり役」の背景にあるとした。

 このように、第三者の詫びで罰を許す「あやまり役」は全国の寺子屋に見られた。時には手習師匠が「今日は子供たちを叱るので、適当な頃合いにあやまり役に来てください」とあらかじめ頼む場合もあった。泣き叫ぶと必ず老婆が詫びを入れに来るので、罰を与えられた寺子はすぐに大声で泣いたという逸話もある。これらの「あやまり役」が寺子屋教育に情味をえ、子供に真の反省を促したことは想像に難くない。

 冒頭の「事件」の際、教師が説教を垂れずに「全て私の責任です」と店主に平謝りしていたら、児童の心証も全く異なったであろう。謝る教師の姿は児童への無言の教育になったはずである。あらゆる機会を通じて徳性を育てるのが道徳の授業とすれば、その「事件」はかけがえのない徳育の機会であった。江戸前期の陽明学者、中江藤樹は『翁問答おきなもんどう』で「根本真実の教化きょうけは徳教である」と教えた。徳教は、言葉ではなく行為で教えることである。道徳を「教える」、すなわち、理屈で説こうとする点に、今日の道徳教育の限界があるように思えてならない。

●「あやまり役」は社会的慣行

 江戸時代には、子供組・若者組・娘組など一定年齢で加入する年代別集団が各地に存在し、同世代の青少年が集団生活や共同作業を通して教育・訓練される社会教育の場となっていた。このうち若者組については、大日本連合青年団編『若者制度の研究』(1936年)という好史料がある。全国各地の若者条目(120種以上)など多くの史料に基づきその実態を伝えるが、「若者組の制裁」(212頁以降)に「貰い下げ」の例が見える。

 それは静岡県小室村川奈(伊東市)の事例で、毎年10月と正月に定期の寄合があり、その際、掟を破った者の「はち(絶交・除名)」処分の裁定が下された。「八分」対象者を一同の面前に呼び出し、審理の結果「八分」と決定すれば、「太い槙木で大勢寄って打ち続け、制裁を加える。やがて頃を見計らって家持衆の主立った者がモライ下げに入って制裁を止め」た。

 また、静岡県村(西伊豆町)で行われた「貰い下げ」は、「○○が上の衆の所に何かじょさいした(悪い事をした)そうですが、今晩のところ、わしの顔に免じて差し上げておくんなんし」という「あやまり役」の申し出から始まり、若者組の上役との間でお決まりの口上が交わされたが、あたかも演劇の台詞のようであった。

 以上の事例は「あやまり役」が寺子屋に限らなかったことを示すが、「あやまり役」が社会一般に見られたことを物語る史料はほかにもある。

 数年前、私が入手した安永8年(1779)作『おやちゃのみばなし』は、全159丁、合計約6万9000字の大部な庄屋心得書で、庄屋と父親の心得を全26章に綴る。そこには作者・西村次郎兵衛(出石いずし藩大庄屋)が苦労の連続で体得した生活の知恵が凝縮されているが、後継者について述べた第4章「次男へ分地の事」に次の一節が見える。

 一向に親の異見を用いぬ者は不憫と思わず勘当せよ。親類からたっての挨拶(詫び)があれば、1、2年親類の家へ預け置き、何なりと教諭してもらい、さらに直らなければ勘当せよ。それでも再び親類から引き留められたならば、やむを得ないので、坊主にさせ、小屋程度の部屋を用意し、生涯一人扶持の世話をしてやるが良い。……酒・色・博奕の三悪の一つでもある者には、先祖代々の土地を少しも与えてはならない。……惣領(嫡子)であってもぎょうせきなら勘当せよ。根性が直り、親類から詫びが入って勘当を解いても、次男の格で別家せよ。

 親類の詫びで勘当が許され、反省に導くチャンスが少なくとも数回は与えられた。そして、親類が見放さなければ、最低限の生活保障もあった。

●近代以降も続いた「あやまり役」

 大正8年(1919)刊行の鳩山春子著『我が子の教育』は、日本の母親が自らの育児経験を踏まえて著した育児書のこうとも言うべき書で、刊行後20年足らずで30版を超すベストセラーとなり、昭和戦前期までの家庭教育に甚大な影響を与えた。以下は、子供が悪戯などをした場合の対処法を述べたくだりである。

 父親には、万事を打ち明けて、心からおわびをする様に教へてらなければなりません。なおその上に、時としては母親も側から言葉を添へて、「これからわたくしせいぜい注意して、再びな事をさせない様に致しますから、うか今度だけは許して遣つて下さい」といふ様にしたならば、いわゆる雨降って地固まるで、此の事のあつたがために、かえつて親子の間柄が一層親密になる様な結果となるであらうと思ひます。

 同書後半で著者自身の20年間の育児経験を綴るが、父の留守中に2人の息子に著しい悪戯や過失のあった場合には、父の帰宅後に必ず詫びを言わせ、逆に善行があれば必ず父から誉めてもらったという。疎遠になりがちな父子関係で父親の積極的な関与を促した彼女は「厳父慈母」より「慈父厳母」を心掛け、夫婦協力型の家庭教育を目指したが、その際に「あやまり役」を有効活用した。

 話は飛んで、2006年に「江戸の教育に学ぶ」という4回シリーズのNHK 教育テレビに出演した時のことである。私の「あやまり役」の説明に続けて、案内役の柳家花緑氏がこう語っていた。

 なるほどね、あやまり役。これには、心当たりがありますよ。落語界もいっしょで、弟子・師匠、師弟関係でね、弟子がしくじっちゃって破門になる、危険な局面を迎えた時に、師匠のおかみさんが「あやまり役」でいてくれると、すごく事が丸く治まって事なきを得たりするでしょ。つまり、「あやまり役」という人が、いるか、いないかによって、師弟関係が全然違ってくると思うんだよね。

 古き良き伝統が残る世界には、今も「あやまり役」が息づいているらしい。

 いずれにしても、今日消えつつある「あやまり役」は、江戸時代には広く見られた社会的慣行であり、近代以降も命脈を保ってきたが、「自己責任」論が風靡する現代日本で瀕死の状況を迎えている。「自己責任」に「あやまり役」は御呼びではない。

 だが、和田秀樹著『この国の冷たさの正体─一億総「自己責任」時代を生き抜く』は、自己責任の終着点や社会病理に警鐘を鳴らす。賛同しかねる点もあるが、傾聴すべき点は多い。自己責任の行き着く先には、深刻な「格差社会」「イジメ社会」「無縁社会」が待っている。

 「あやまり役」は、言わば「自己責任」の対極に位置する考え方であり、現代社会が喪失しつつある日本の教育文化の象徴である。第三者の積極的関与で家庭や地域のトラブルを円満に解決した江戸時代。「あやまり役」は、言わば「ピンチ」の状況を教育・更生の「チャンス」に変える庶民の知恵であった。「世話焼き」や「お節介」が絶滅する前に、自己責任社会を脱却し、人づくり社会への転換を図る必要があるだろう。


◆プロフィール◆

小泉 吉永(こいずみ よしなが)        (1959年生)

 東京都生まれ。法政大学文学部講師、学術博士(金沢大学)、往来物研究家(往来物倶楽部代表)。

 1982年早稲田大学政治経済学部卒業後、教師や編集職を経て独立。現在、古典籍1万点のデジタル化と関連のネットビジネスを主要業務として展開、ホームページ「往来物倶楽部」(www.bekkoame.ne.jp/ha/a_r/)やフェイスブックで関連情報を発信するほか、江戸時代に関する多彩な講座「江戸樂舎」(www.edo-gakusha.com)を開講。

 主要著作は、『女筆手本解題』『往来物解題辞典』『近世育児書集成』『庄屋心得書・親子茶呑咄』等の学術資料のほか、『江戸の子育て十カ条』『「江戸の子育て」読本』『江戸に学ぶ人育て人づくり』『痛快!気くばり指南「親父の小言」』など。

(『CANDANA』268号より)

掲載日

ページTOPへ

COPYRIGHT © Chuo Academic Research Institute ALL RIGHTS RESERVED.