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「明日への提言」

コロナ禍で明らかになった課題と新宗教の取り組み

渡辺 雅子(明治学院大学名誉教授)

はじめに

 新型コロナウイルスという感染症の蔓延によって、これまでのような生活ができなくなった。そして世界がグローバルにつながっていることを如実に感じさせるものだった。コロナ禍はさまざまな規制や自粛によって人と人との関係のあり方に大きな影響を与えている。特に人と人とを分離・分断するものであることを強く感じる。2年経った今もその収束は見通せない。

 この間、新宗教にとってもこれまで先送りされていた課題が明らかになり、その対応が迫られたと思う。人と人との対面での出会いが大きな役割を占め、宗教施設への参拝や行事や企画など、宗教活動では今避けるようにと言われている三密(密閉、密集、密接)が重要な役割を占めていた。宗教関係ばかりでなく、様々な場面で生活の細部にわたってライフスタイルの変更を余儀なくされた。

 ここでは、まずコロナ禍の中で私自身が大学の授業をとおして感じ考えたこと、取り組んだことを述べ、そして新宗教に対する学生のイメージについてみていきたい。次いで、新宗教の調査研究を行っている者として、特に立正佼成会(以下、佼成会)の動向を注視してきたので、その取り組みを観察し、感じたこと、考えたことについて述べたい。

1 大学でのオンライン授業から考えたこと

■オンライン授業からの気づき

 2019年に定年退職後、3年間非常勤講師として、宗教社会学、現代宗教論、質的データ分析という授業をもった。40年にわたる教員生活からのソフトランディングの時期をもらったと当初は考えていたが、2年目3年目はもろにコロナ禍とぶつかった。様々な立場の人がコロナ禍に翻弄され、新しい試みにトライしなければならない状況になったと思われるが、大学の授業でも慣れないことに取り組まざるを得なくなった。教員側も大変だったが、学生への影響も大きく、特に入学時からコロナ禍でオンライン授業になった学生たちは、学習面以外にも大学生活で重要な意味をもつ友人と出会う機会を失い、気の毒だった。

 質的データ分析という20名の少人数の科目は対面授業ができない期間にはZoomをもちいた。Zoomでは顔を見て話すこともでき、また少人数の場合はグループ分けをして課題に取り組んでもらうことも限定的ではあるが可能だった。Zoomの効用として、地方在住や海外在住の卒業生に協力してもらい、ライフヒストリーの聞き取りができたことはメリットだった。

 多人数の講義科目は2年間にわたってオンライン授業になった。コロナ禍以前にどうやって授業をしていたのかと問われれば、ノートと黒板、資料の配布、映像の視聴、写真を昔はスライドで今はパワーポイントにはりつけて提示するというアナログな世界だった。そのやり方を根本的に考え直さなくてはいけなくなった。新たにワード文書やパワーポイントで資料を作成、理解に役立ちそうなYouTubeで公開されている映像の探索、関連の新聞記事や雑誌資料のpdf化など、どうしたら学生にとってわかりやすい授業ができるのかを考えた。つまり、「経験」といえば聞こえがよいが、これまで惰性に流れていたことを認識した。また、受け手である学生もマニュアル世代であり「消費者としての学生」になっているので、プロセスを踏めばステップアップできる教材を提供しなくてはならない。これまで気づいていても対面授業の時はやり過ごしていたことに、真剣に取り組まざるを得なくなった。これはコロナ禍という外圧で、変わらなければならないことが後押しされたのである。

 オンライン授業は、オンデマンド配信という学生が都合のよい時に視聴する方式で、出欠の意味もあって毎回リアクションペーパーを書いてもらった。毎週200名近くのものを見るのは大変だったが、宗教に対する意識や捉え方についてわかったことが多かった。

■大学生からみた新宗教

 大学生は新宗教についてどのようなイメージをもっているのだろうか。新宗教に対するイメージは一言でいって悪い。危険、閉鎖的、怖い、あやしいというものである。これについては1995年のオウム真理教事件の影響が極めて大きい。現在の大学生はその時には生まれてもいないのだが、繰り返しテレビやマスメディアでとりあげられ、宗教は危険で近づいてはいけないもの、かかわってはいけないものとしての認識をもっている。宗教に入ると洗脳され今まで通りの一般的な日常生活をおくれなくなるというイメージを抱いていた。

 現代宗教論の授業では社会変動と新宗教、新宗教とジェンダー、入信過程、新宗教とメディア、新宗教の異文化布教などについて取り上げた。オウム真理教についてもマスコミによるイメージではなく、その実態がわかるような資料を提示した。半年の授業のあとはかなりの学生が新宗教についてのイメージが変わったと述べていた。

 まずは閉鎖的というイメージから地域社会や世界に開かれた宗教という見方である。たとえば天理教の動画で、鏡開きと雑煮の振る舞いに、信者だけではなく地域社会の人々も参加し、それが教団からの発信のみならず一般のニュースにもとりあげられていることはインパクトがあったようである。また、私が2008年に中外日報に10回にわたって連載した「信仰に生きる女性たち」の記事(佼成会、金光教、大本、霊友会などの女性信者)を読んでもらったが、困難な人生でも信仰を支えに生きようとする姿、自分が救われた体験から救う側にまわろうとして活動に取り組む姿に、新宗教に入るとだまされるのではなく、生き方にポジティブな影響を与えることも認識した。

 女性のエンパワーメントに新宗教の果たしている役割や社会貢献活動、異文化布教の様子や現地での支援活動、宗教が苦難を切り開いていくための力を与えている様子などについて知る中で、マスメディアによって植えつけられたものの変更がおきた。

■新宗教理解における映像資料の重要性

 宗教は学生にとっては非日常的世界で、言葉だけでは理解させることが難しい分野だ。宗教には「百聞は一見にしかず」のところがあるので、対面授業の時も映像資料や写真は積極的に活用していた。テレビ番組の録画や教団作成の動画など、理解に役立つだろうと思われる映像資料を蓄積してきた。今回困ったのはそれが使えなくなったことである。そこでYouTubeで動画を探すことから始まった。教団の中では比較的動画が充実している教団とそうでない教団があった。教団の宣伝だけのものは授業で用いるのはふさわしくないので、客観的にみて情報として役立つものを選択した。学生に感想を書いてもらうと、彼らにとってなじみやすい動画が、学習にさいして極めて有効であることがわかった。

2 コロナ禍での新宗教の取り組みと課題――佼成会の場合

  コロナ禍の中で、新宗教の現場でもさまざまな試行錯誤が行われた。外部から見ているので限界はあるが、これまで佼成会には着目してきたので、コロナ禍によって明らかになった課題とその取り組みに注目して見ていきたい。

■参拝型になっていた佼成会にコロナ禍が与えた影響

 コロナ禍で教会を閉鎖するというこれまでにない時期もあり、また、三密を避けた活動が要求されるというかつてない状況に陥った。私は佼成会を組織原理では中央集権型、布教形態では万人布教者型として位置づけていた。しかしながら、かつての「入会者即布教者」というのではなく、実情を見ると参拝型になっていた。つまり、教会道場へ命日参拝、行事参拝、道場当番、宿直などの実践が中心になっていた。コロナ禍によって、教会道場という場が充分に機能しないことは、参拝型になっていた佼成会にダメージを与えた。

■専業主婦を想定しての活動のあり方からの変更

 佼成会が急速に布教を拡大したのは戦後復興期から高度経済成長期にかけてである。その時のサラリーマン家庭のモデルは男性が外で働き、女性が専業主婦として家庭を守るというものだった。実は、佼成会はその時代にあって女性のエンパワーメントの役割を果たしてきた。女性の場は家庭という「内」とされていたが、仕事という「外」ではないが、「ご法活動」という「外」に向けて活動をすることで視野を広げていったのである。佼成会は女性たちに活躍の場を与えた。いわばフルタイムで働くように佼成会の活動をしていた人もいた。

 しかしながら、時間の経過とともに高齢化が進み、また仕事をもつ女性が増えたことで、専業主婦を想定した組織活動が難しくなってきた。かつて「立正佼成会における女性の位置と女性幹部会員のジレンマ」という論文を書いたが、そこでは仕事をもつ主任が仕事と佼成会の活動を両立させようと努力している姿があった。彼女たちが一番大切にし、穴をあけないようにしているのは道場当番であるように思われた。道場当番は信仰維持・強化に役立っていることは事実だが、生活環境の変化によって、それが重荷になっている状況もあった。雇用の不安定化、女性の位置の変化により、専業主婦を前提とした活動には金属疲労が現れていた。コロナ禍の中で、教団本部は2021年1月から従来の道場当番を「道場健幸行」としそれを緩め、宿直も実施を取りやめた。実際の運用とその効果については今後を待たないとわからないが、課題としていたことが、コロナ禍という外圧によって変化を促されたとみることができるだろう。

■オンラインの活用から広がる可能性

 コロナ禍によって促進された取り組みはオンラインの活用である。大聖堂での式典のライブ配信(会員専用)が行われるようになった。教会の行事をライブ配信するところもある。また、法華経講座やセミナー、法座をZoomで実施している教会もある。教会の様々な取り組みの一部は『佼成新聞』で紹介されている。

 オンラインの活用は、働き方が多様化している現状にあって、どこにいても参加できるというメリットがある。子育て世代も気兼ねなく参加できる。またライブ配信を録画してYouTubeにあげれば、さらに視聴の時期の柔軟性が増す。どこまで参加者の範囲を広げるかという判断はあるが、リモートで参加できるということは所属教会以外にも門戸を開く可能性があるということだ。セミナーのゲスト講師を海外在住者に依頼することもできる。これもオンラインならではのことである。教会長がすべてできるわけではないので、教会でスキルのある人の支援を求めることによって、参与度が増し、信仰が活性化する効果もあると思われる。

 これらはまだ教会レベルの取り組みであるが、よいプログラムが集まれば本部でセミナーのアーカイブズをつくり、視聴者がメニューから関心をもつものを選択、もしくはある程度の道筋を示して研修するという世界が広がるかも知れない。

 海外との関係もZoomを使って活発化した。海を越えての交流にオンラインは極めて有効である。

■コロナ禍での高齢会員の困難

 佼成会の中核的会員は高齢化している。コロナ禍で教会に出にくくなり、対面での活動ができなくなったことは痛手だった。オンラインでの取り組みは、高齢会員には難しい場合もある。パソコンやスマートフォンを持っているのか、ライブ配信、Zoom、YouTubeへはアクセスできるのか、ラインやメールを使えるのか、身近に操作の手助けをしてくれる人がいるのかなど、その使いこなしは年代が上がるにつれ難しくなる。高齢会員は道場当番も積極的に担い、財的貢献も含めて重要な役割を担っている。道場当番は大変な部分もあるが、教会にくる、サンガの皆と会う、参拝する、生きがい、安否確認の意味もある。彼らの活躍の場、生きがいのある人生、サンガの喜びを感じられるサポート体制をどのように構築できるかという課題がある。対面が難しくなったことで、高齢会員に手紙を出す試みをしている教会もあり、また現場の支部長や主任が電話を用いてコンタクトをとっている。スマホの使い方を教えることもあると聞いた。コロナ禍の酷なことは、感染を防ぐために人との接触を制限するあまり、人を孤独にすることだ。さまざまな気の毒な出来事が起きたと聞くが、会員にとって佼成会にはサンガがあることは強みであろう。

■コロナ禍がつきつけたものをどうチャンスとするか

 コロナ禍によって、今まで課題であるとわかっていながらも先送りしてきたことが、対応せざるを得ない問題として立ち現れた。佼成会の組織原型は高度経済成長期につくられたもので、それから50年以上たって社会状況も変化した。また、27年前のオウム真理教事件によって新宗教に対する逆風が吹き、それは今も継続している。ボランティアをしていることは言えても新宗教の信者であることは言いにくい状況になった。

 第一に、佼成会の参拝型の活動についてである。道場当番についてはコロナ禍で新しい方針が出されたようだが、今後、実態に即しつつ、どのように中身のあるものにしていくのかが問われている。動員型の行事もコロナ禍で再考せざるをえなくなった。第二にインターネットの活用と発信についてである。対面での布教が難しい状況にあってホームページや動画といった情報発信の重要性は大きい。まずはインターネットで検索するという時代になったことをふまえて、より一層の充実が求められる。またコロナ禍で推進されたZoom を使用してのセミナー等は有意義な取り組みであると思う。第三に信仰継承の課題をどうするかということである。新宗教に対する逆風のもとで、ほとんどの教団が布教の点では停滞し、会員数も減少し、また高齢化している現状にあると思われる。それがゆえに信仰継承がクローズアップされる。「信仰のある家庭で育ったのでなんとなくわかる」のではなく、自分の信仰として選ぶためにも教えや実践の意義がわかり、他者にも説明できるような育成システムが必要なのではないか。第四に、高齢会員の生きがいやケアの側面と、これまで熱心にやってきた人からの信仰上の遺産をどう受け継いでいくのかという課題がある。コロナ禍は高齢者にとって厳しい状況をもたらした。対面が可能にならないと難しいかもしれないが、信仰体験を聞き取るプロジェクトなどは、高齢者にとっても聞き手にとっても意義のあるものになるかもしれない。

 ある学生が「新宗教のさまざまな様相や役割について考えた時に、コロナ禍で人が孤立している状況の中で新宗教の役割は大きいのではないか」と指摘した。たしかに新宗教の歴史を紐解くと疫病の拡大した時に教勢を伸ばした新宗教もあった。当時は病気治しとの関連で入会した人が多かったのではないかと推測されるが、人々の苦に寄り添い、救済財を与えるのが宗教であるというのも事実である。新型コロナウイルスという感染症の特徴もあるが、新宗教に何ができるかという発想を私自身忘れていた。新宗教の布教力が減退している状況にあって、教団の維持と会員間のケアしか念頭になかった自分を恥じた。

 佼成会はある意味安定し、言い方を変えれば幾分硬直化し、課題対応能力が少し弱いように思う。しかし、コロナ禍の中で、先送りにされていた課題・実態が明らかになった。各教会や現場で取り組まれている内容を吟味しながら、新しい展開をしていかなくてはいけない。教団もいやおうなしに転換期にある。柔軟にアンテナをはり、ピンチをチャンスに変えていくしかない。

◆プロフィール◆

渡辺 雅子(わたなべ まさこ)

 東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、東京教育大学大学院修士課程修了、東京都立大学大学院博士課程単位取得満期退学。博士(文学)

 明治学院大学名誉教授。日本宗教学会常務理事。(公財)国際宗教研究所顧問。

 専門は宗教社会学。

 主著(単著)に『ブラジル日系新宗教の展開』(東信堂、2001年)、『現代日本新宗教論』(御茶の水書房、2007年)、『満洲分村移民の昭和史』(彩流社、2011年)、『韓国立正佼成会の布教と受容』(東信堂、2019年)、論文に「立正佼成会における女性の位置と女性幹部会員のジレンマ――とくに仕事をもつ主任に焦点をあてて」(『中央学術研究所紀要』45、pp.62-97、2016年)他多数。

(『CANDANA』289号より)


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