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「明日への提言」

現代教育への提言

北村 俊一(白山市立松任公民館館長)

 

 小学校で校長として勤務していた頃のことです。当時6年生は2クラスで二人の先生を学級担任として配置することとしました。A先生は、四十代前半の女性で優しさの中にも芯の強さを持ち合わせている人柄で、指導の確かさと併せて校長の信頼に足る先生でした。もう一人のB先生は三十代半ばの男性で、明るく闊達でダンスが得意で「ムーンウォーク」などを積極的に取り入れるほどの先生でした。両方ともに信頼に足る先生だったのでこれで今年の6年生は大丈夫だと思っていました。ところが1ヶ月もしないうちにA先生のクラスが何やらただならぬ雰囲気になりました。時々A先生のクラスの授業などの様子を見に行ったり、他の先生の助言や援助をもらったりしましたが、うまくいきません。A先生の表情も日に日に暗くなっていきました。一方B先生は飄々としていて動じることもありません。なんとかしなければという思いから6年生担当の級外の先生に再度相談をかけました。ここに至ってその先生もようやく本気になったのでしょうか。実は自分も困っていると本音を話し始めたのです。「本校ではB先生は児童たちに断然人気があって他の先生はかないません。どの学年の児童たちも6年間で1度はB先生の担任になりたいと思っているくらいなのです。だから本校のどの先生もB先生と同じ学年になりたくないと腹の中で思っているのです。でもA先生はそんな弱音などつゆほども見せずここまで来られたことは立派というほかありません。私もなんとかフォローしようと思って努力しましたがだめでした。それほどB先生の人気はすごいのです」と恥ずかしそうに言うのです。これほど人気があって自他共に認めるほどのB先生に対して多くの職員が腹の中では嫌がっていたのだと気付かされ愕然としました。管理職として職員の状況把握が不十分であったことを反省すると同時に、これは本校が抱えた重大な問題だと思いました。もはやB先生と直接話すしかないと思いました。そこでB先生に対してA先生が今大変困っているから少し手助けをしてやってもらえないか、級外の先生も入れて三人で6年生の学年をよりよくするという観点に立ってもらいたい。なんとか協力してもらえないかと持ちかけました。彼はこれを聞いて概ね理解を示しながらも、一方でとても不満そうな表情で次のように応えました。「6年生を担当するものとしてA先生を手助けするということはわかりますが具体的にどうすればいいのかよくわかりません。最近の子どもたちは一筋縄ではいかないので、真面目なだけでは子どもたちを掌握しきれないと思います。A先生もそれから校長先生も真面目で堅すぎます。もう少し子どもたちにゆとりを持って接したらどうでしょうか」と言って平然としていました。勝ち誇っているかのようにさえ見えました。そこで私は次のように応えました。「私は中学校で生徒指導上問題の多い難しい学校を担当してきたけれど、そのような学校で中途半端に広い心で温かく接しようなどとすると、あっという間に学校は秩序を失い壊れてしまう。こんな時こそ不退転の覚悟で強い信念を持って臨まなければならない。ここでいう強い信念とは、今目の前にいる子どもを大切にすることでそのことから目を離さないことだ。子どもたちにしっかりと正面から向き合って対応すること。決して逃げないことが重要だ。例えば野球でいうと、ピッチャーにとって一番大切なのは直球だというのです。直球に威力のないピッチャーが、どんなにそれ以外の変化球を数多く身につけても所詮ごまかしに過ぎないため早晩打たれてしまう。それ故ピッチャーは威力のある直球を投げられなければ使い物にならない。直球に威力があるからこそ時々投げる変化球が功を奏するのだ。要は直球の威力こそが打者を抑える最大の武器なのだ。学校も同様だと思う。真面目のどこがいけないのか?真面目なだけでは学校は成立しないというのだろうか。私はこれからも個人としてもまた校長としても愚直なまでに真面目に児童生徒たちと向き合っていきたい。これは私の学校経営の信念であり信条でもあるので変えるつもりはない。これからA先生には、自信を持ってこれまで通り真面目な指導を続けて下さいとお願いします。またB先生、あなたには、威力ある直球を身につけてほしいと思います。お互い頑張りましょう」と言い置きました。以後、A先生はひるむことなく指導に専念されました。そのせいでしょうか、「うまくいかない」「困った」などという愚痴はそれ以後全く聞かれなくなりました。両先生の連携協力もスムーズにいくようになり、この子達も3月には立派な卒業生として巣立っていきました。今でも強く印象に残る1年間でした。

やる気を起こす四つの願い

「生徒指導とは子どもたちにやる気を起こさせることである」というのは今では当たり前のことですが、それではやる気を起こさせるためにはどうすれば良いのかというと、はたと困ってしまうというのが現実のようです。古い話ですが、当時教育者教育研究所の専任講師の佐々木章雄先生に教わったのが「やる気を起こす四つの願い」です。40年も前に習ったものですが今でも通用するのではないかと思えるほどです。

 さて、その四つとは。一つ目は「自由(自主独立)の願い」です。自由ということは、人に押しつけられてやるとかさせられるとかではなく、自分で決めてやるということです。もちろん、人に教えてもらったりアドバイスを受けたりすることは、大いに歓迎なのですが、最後は自分が決めるということなのです。決して逃げないということでもあるのです。「先生が言ったから」とか「親がこうしろと言ったから」などと言ってすぐに人のせいにしてすぐ逃げてしまおうとする子が多い。これではやる気を起こすどころか何をやっても成就せず不満だけが残ることとなります。今の時代は、責任の時代ともいわれ、結果責任や説明責任が厳しく求められる時代です。そのせいでしょうか、逆に責任をとらされまいとして必死になって責任逃れをすることがこれまで以上に強くなったように感じるのは私だけでしょうか。この「責任逃れ(逃げの姿勢)」こそが「自由(自主独立)の願い」の最大の敵なのです。「自分で決める」ということは、一方で「責任はすべて自分にある」という覚悟がその裏に潜んでいるということです。「自己決定」と「自己責任」その両方が認められてこそ真のやる気に、真の幸せにもつながるということです。こう考えてみると、学校というのはどうしてもその運営そのものが教師主導になり易く、児童生徒たちにしてみれば勢い受け身になりがちです。「自己決定」も「自己責任」も発揮しにくい状況にあります。そこでなんとか子どもたちの学校への参加意欲を高めたいと願い、当時中学校長だった私はめざす生徒像や学校教育目標を全教職員、全生徒で創ることにしたのです。全員にアンケートを採ったり、代表者会議や各種委員会など多くの会議でこれを検討したりしました。もちろん教師も大いに参加して議論しました。みんなにわかりやすくするために言葉遣いもできるだけ生徒目線で行うことも了解されました。そして、浮かび上がってきた「キーワード」が「郷土を愛する心」と「志を高く」でした。以後、すべての目標や目当てなどはこれを元にして創られるようになりました。これによりあらゆる目標等が自分のものとして受け止められるようになり、学校の諸活動に対する参加意識の高揚につながりました。

 二つ目は「平等の願い」です。平等というと「みんな一緒」とか「みんな同じ」というふうに思いがちですが、やや平等をはき違えていると言わざるを得ません。確かにだれも差別せず同等に扱うということを平等と捉えれば「みんな一緒」とか「みんな同じ」というふうにも考えられるのですが、この考えでいくと弱者救済はあり得ないことになってしまいます。例えば足の不自由な子が学校へ通うのに自力で歩いてくるのはほぼ不可能なので自家用車による通学が許されたとします。これをもって健常な状態の子が「これは不平等だ。僕たちも自家用車で通いたい」と、あるいは「たとえ足が不自由でも学校の決まりなのだから僕たちと同じように歩いてくるべきだ」などと主張したらどうでしょうか。よくいわれるところの悪平等であることは明らかです。このように表面的に見える部分だけでものを判断しこれを同一化しようとするのは、多くの場合悪平等になりがちなのです。そのようなことをすればやる気どころか人々の安心安全な暮らしを脅かすことにもなるでしょう。もっと本質的なものとして平等を捉えなければなりません。逆の言い方をすれば、表面に見える姿形や現れる現象は悉く千差万別で全く同じものなど一つもないということです。すべて違っているということが平等であり、その一つ一つの違いこそが貴重な価値であるといえるのです。掛け替えのない存在であるという考えもこうしたことから生まれてくるのです。人間はその価値において本質的に平等であり現れる現象としては様々な様相を呈しているがそれらは皆貴重な存在であるといえます。よくあることですが「お隣の子は勉強の成績も良くて立派だがおまえは成績も悪いしスポーツもたいしたことはないしだめな子だな」と言ってしまうことがありますが、これは表面的な違いをそのまま人間としての価値に置き換えてしまったという過ちを犯しています。このように、現実は表面に現れた優劣や良し悪しの違いがそのまま人間の価値になってしまいがちです。ましてや今日では競争社会ということで競い合うことを奨励するような社会風潮があるので、益々こうしたことが助長されることとなります。そこに警鐘を鳴らし人々をほっとさせた言葉が「ナンバーワンよりオンリーワン」であります。前述の弱者救済もその一つですが、今では弱者ということ自体が無用な差別につながりかねないといわれて、弱さも個性の一つとして捉えすべての人の存在を尊重し大切にしていくという考えになってきています。平等とは一人一人の存在を掛け替えのないものとして大切にしていくことに他ならないのです。自分という存在がいかなることがあってもないがしろにされることはないと確信できる学校であれば、そこは、元気の出るやる気のもてる学校ということになるでしょう。これは生徒の問題というよりはむしろ教師側の日頃の生徒たちへの向き合い方の問題といえるのではないでしょうか。先生が常日頃このしっかりした平等観で生徒たちに向き合っていれば、生徒達のやる気を益々促進していくことになるでしょう。

 三つ目が「向上の願い」です。だれもが今よりもっとよく成長したいと願っているものです。よりよく生きようとするのは人間の常です。ただここでも大切なことは、他と比べて自分が上だとか下だとかいうのではなくて、今の自分の有り様を基準にして何がどれだけ伸びたかとか何がどれほど足りなかったかとかいうような観点で考えることです。一番わかりやすいのは学校でいうところのテストの点数です。何でも百点がいいに決まっていますが、簡単な問題ばかり解いて、例えば中学生が小学3年生ぐらいの問題を解いて百点を取ったからといって大はしゃぎしていたらどうでしょうか。喜ぶ中学生は極めて少ないはずです。なぜならできて当たり前だからです。逆に八十点でもがっかりする子もいると考えられます。なぜなら自分の実力が小学3年生並みかそれ以下ということになるからです。同じ八十点でも中学校のテストでの成績なら、満面の笑みで喜んだかもしれません。こう考えてくると「向上の願い」の基準は「偽りのない今の自分の姿」であるといえます。競争社会もある程度向上の願いを叶えているところもありますが。実はナンバーワンだけが評価され2番手以降はほとんど振り向かれることもないというのが現状です。結果として、多くの人が不満と失意の中に放り出されることとなります。やはり他と比べて上だとか下だとかいうのでは本当の意味での「向上の願い」をかなえたことにはならないということです。ただ気をつけたいのは成功体験だけが「向上の願い」をかなえるものとは限りません。現実は失敗したりミスをしたりして、うまくいかないことも多くあります。失敗でがっかりして次に何もしなければ失敗のままで終わってしまいます。でも、失敗から次への成功へのヒントを学びさらなる努力を続ければ成功への道が開けることとなります。失敗によって自分が鍛えられ一層逞しくなれるとしたらこんなに嬉しいことはないはずです。失敗がなければ自分の愚かさや足りなさに気付くこともできないということです。思えば、失敗様々ですね。「向上の願い」はこうしたことを大切にしているのです。常に上へ上へと伸びることだけが向上と考えてはいけません。むしろ失敗やミスをプラスに変えていくことこそが「向上の願い」の真骨頂といえるのかもしれません。ここまで来ればもはや何があっても恐れることなどないことになります。前向きでプラス思考を奨励していきましょう。

 四つ目が「貢献の願い」です。自分のためにとなればやる気を出す人たちも、世のため人のためとなると少しばかり逡巡するようです。自分の利益と他の利益を考えたとき自分の利益を優先するのは人間の悲しい性なのかもしれません。でも「貢献の願い」は人間はだれでも世のため人のために尽くすことが大好きなのだということなのです。「貢献の願い」を心から嫌がる人はいないというのです。自分のやったことが人のためになっている、世の中に貢献しているという自覚が、何よりも強い誇りと喜びになっているというのです。そういえば私はかつて先生の言うことなど一言も聞かなかったような子ども達と一緒に募金活動をしたことがありました。それぞれに募金箱を持って町ゆく人たちに声をかけて募金をお願いするのです。日頃から不機嫌な顔をしている彼ら彼女らですから、どうせやらないだろうと思っていたら驚くなかれみんな一生懸命にやり始めたのです。やはり若者の力はすごいなあと思いました。私などがどんなに声を張りあげようが知らん顔していくような人が、彼ら彼女らの前では笑顔になって小銭を入れていくのです。中には「感心だねえ」とか「ご苦労様です」などと声をかけていく人もいるくらいです。これだけされるとさすがの彼らも思わず顔がほころんできて一層募金活動に熱が入るといった具合でした。終わった後も、心地よい疲れの後に同じ募金をやっていた老人達から「ようやってくれた。ありがとう」と声をかけられ嬉しそうにまたちょっと恥ずかしそうにしている姿を見て彼らの素晴らしさに気付かされれました。どうしようもない生徒だと思っていたのは私の心であって、彼らはどうしようもない生徒ではない。それどころか夢と希望に満ちあふれた素晴らしい可能性を秘めた若者達なのだと気付かされました。もっと子ども達の良さを信じてやらなければいけない。そう感じました。以後、子ども達の良さを信じていくということが私の教育信条の一つとなったエピソードでした。

◆プロフィール◆

北村 俊一(きたむら しゅんいち)

 昭和49年4月、石川県公立学校教員として採用、根上中学校教諭。昭和56年4月、松任中学校教諭。昭和61年4月、石川県教育委員会指導主事。平成8年4月、野々市中学校教頭。平成13年4月、野々市小学校校長。平成18年4月、野々市中学校校長。平成22年3月、定年退職。平成22年4月、野々市市教育センター所長。平成24年10月、金沢工業大学・金沢工業高等専門学校講師。平成26年2月、白山市松任地区町会会長、白山市町会連合会副会長。平成27年2月、白山市町会連合会会長。平成29年4月、白山市立松任公民館館長。

(『CANDANA』283号より)

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