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「明日への提言」  バックナンバー: 2022年

よく生きるための「対話」と「思考」
――ロジャーズの「深い傾聴」「内臓感覚的思考」に学ぶ

諸富 祥彦(明治大学文学部教授)

1.はじめに

 私は、「対話」に関心がある。その対話を通して、思考が深まり、人が、よりよく、より自分らしく生きることができるような「対話」に、関心を注いでいる。

 そして、自分のしているカウンセリングとか、心理療法といったものが、「思考」が深まり、「自分」が深まっていくような「対話」の典型的なものであると考えている。

 一言で、「対話」と言っても、さまざまな種類、さまざまなレベルのものがある。

 たとえば、テレビの討論会や、学会でのシンポジウムの対話の多くは、あまり質の良くない対話の代表例である。相手の話を聴いているうちに、自分の中からただ条件反射的に思い浮かんだことを口にしているだけだ。

 一方、より質の高い対話も、たしかにある。

 その人と話をしているうちに、普段はぼんやりしている自分の考えが明らかになってくる。自分が何をほんとうは考えていて、何をどうしたいのか、話をしているうちに、わかってくる。なんだかその人と話をしていると、一歩前に進めた、停滞していたプロセスが一つ先に展開した、という実感がある。

 それが、「ほんものの対話」である。

 話そうと思ってあらかじめ準備していたことを理解してもらえた、というだけではない。その人と話をしていると、ひとりでいるときよりも、自分の思考の核心により近づくことができた、という実感がある。ほんとうにわかってもらえていると、人は、自分自身の本質により近づいていくことができるのである。

 このような、その対話において、対話参加者ひとりひとりの、自分自身との対話が深まっていくような対話、より深くものを考えることができるようになり、よりよく生きていくことができるような対話、そんな対話の一つのモデルとなりうるのが、現代カウンセリングの礎を築いたカール・ロジャーズのカウンセリングである。

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今、〈共感〉について考える

宮本 要太郎(関西大学教授)

1.共感にツカレル(疲れる)

 この原稿を執筆しているのは2022年6月の初頭だが、2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、開始から100日を経過しても終息がいっこうに見えてこない。この間、テレビでは連日現地からの報道がなされてきている。一般市民を含む多くの犠牲者が、こうして執筆している間にも次々に生み出されていることは、沈痛な思いを引き起こしてやまない。それゆえに、刻々と伝えられる現地の状況に強い関心を抱きながらも、それに触れるのが次第に苦痛に思えてくる。

 かかる感覚は、東日本大震災後にかなりの期間にわたって感じたものとよく似ているが、このように、他者の苦難に対して継続的に「共感」することによって自分自身が不安や苦痛を感じることを、心理学や看護学などでは、「共感疲労(compassion fatigue)」と呼んでいる。この概念自体は、1992年にカーラ・ジョインソンが、救急医療に従事する看護師たちの間に、しばしば集中力の減退、知覚の麻痺や無力感、怒りっぽさ、自己満足の欠如などが見られることに関して名づけたもので、「二次受傷」と訳されることもある。

 医療や看護をはじめ、一般に支援にかかわる仕事に携わる人々の間で他者への共感に伴ってこのような症状がしばしば見られることは実は古くから知られていて、「燃え尽き症候群」などと呼ばれることもあったが、最近では、この「共感疲労」という用語が徐々に広まっているようである。

 もっとも、かかる症状は、対人支援関係の仕事を専門としている人たちだけでなく、報道番組やドキュメンタリー番組を見て強い感動を覚えたり、涙が止まらなくなったりするような、いわば共感能力の高い人々にも同じことが言える。現代ではさらに、テレビだけでなく、誰でも動画を投稿できるYouTubeやTikTokなどのSNS(ソーシャルネットワー
キングサービス)が普及して、悲惨な現地のリアルな情報が際限なくリツイート(再生産)されていくなかで、「共感疲労」はもはや常態化しつつあるのかもしれない(あるいは「共感のインフレーション」)。

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コロナ禍で明らかになった課題と新宗教の取り組み

渡辺 雅子(明治学院大学名誉教授)

はじめに

 新型コロナウイルスという感染症の蔓延によって、これまでのような生活ができなくなった。そして世界がグローバルにつながっていることを如実に感じさせるものだった。コロナ禍はさまざまな規制や自粛によって人と人との関係のあり方に大きな影響を与えている。特に人と人とを分離・分断するものであることを強く感じる。2年経った今もその収束は見通せない。

 この間、新宗教にとってもこれまで先送りされていた課題が明らかになり、その対応が迫られたと思う。人と人との対面での出会いが大きな役割を占め、宗教施設への参拝や行事や企画など、宗教活動では今避けるようにと言われている三密(密閉、密集、密接)が重要な役割を占めていた。宗教関係ばかりでなく、様々な場面で生活の細部にわたってライフスタイルの変更を余儀なくされた。

 ここでは、まずコロナ禍の中で私自身が大学の授業をとおして感じ考えたこと、取り組んだことを述べ、そして新宗教に対する学生のイメージについてみていきたい。次いで、新宗教の調査研究を行っている者として、特に立正佼成会(以下、佼成会)の動向を注視してきたので、その取り組みを観察し、感じたこと、考えたことについて述べたい。

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現代の地域づくりを考える

北村 裕明(滋賀大学経済学部特任教授)

1.「おかえりモネ」の描く地域

 2021年度上半期のNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」は、東日本大震災の被災地気仙沼で生まれ、震災を経験した主人公・永浦百音とその同級生達の物語であるが、現代日本の地域や地域づくりを考える視点を提供してくれている。

 ドラマは、主人公の百音が震災の際に仙台にいて、現地で対応できなかった悔いを抱きながら、高校卒業後気仙沼を離れ、登米の森林組合で働くところから始まる。そこで気象に関する専門的な知識が、地域の産業や防災に関係することを知り、気象予報士の資格を取得し、東京の気象情報サービス企業に勤め、経験を積む。そして、気象という専門性を生かして地域に貢献できるのではないかと思い、気仙沼に帰り、気象情報を利用した新たな仕事をおこす過程が描かれている。

 ドラマの中で、地域づくりという視点から見ると、いくつかの重要なことが描かれている。まず、産業が漁業と林業という潜在性はあるが困難を抱える地域で、「なりわい」を続ける強い意志を持った人々、百音の祖父でカキ養殖に携わる龍己や、森林組合長のサヤカの姿が印象的である。また、登米は、よそ者である百音を森林組合の職員として受け入れただけでなく、気象情報サービス企業のメンバーや研究者、森林体験や森林セラピーの事業を通じて多くの他地域の人々を受け入れている。気仙沼では、震災以降多くのボランティアの受け入れを経て、今でも都会の若者が地域で活動している。他地域の人々や若者の受け入れに寛容な地域の姿が描かれているのである。さらに、地域情報の交流と発信の場として、登米では、診療所とカフェを併設した森林組合が、気仙沼では震災を契機に立ち上がったコミュニティFM局が重要な役割を果たしている。市役所や町役場とは別に、民間ベースで地域情報を交流し発信する拠点があることが描かれている。そして、気象情報という専門性を生かして、漁業や林業を振興し、地域に根ざした防災対策を行う可能性が示されているのである。地域の資源を現代に生かすには、新しい知恵と知識が必要なのである。

 地域に根差して地域の振興を考え続ける人の存在、外部の人や若者を受け入れる寛容さ、地域づくりを行う情報交流や活動の民間の拠点、地域資源に新たな活用の方向を示す専門性は、今日の地域づくりにとって重要な要素である。「おかえりモネ」は、それらを的確に描き出し、今日の地域づくりの方向性を示しているとも言えるのである。

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